2017年10月
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旅行・地域

2017年10月19日 (木)

京都迎賓館ガイドツアー


 京都迎賓館は海外からの賓客の迎賓施設として2005年に開館した国の施設です。日本建築の伝統の技と美しさを結集した純和風の木造建築です。

 この迎賓館のガイドツアーに応募したところ当選したので見学することにしました。国宝展の後、岡崎で食事を済ませて迎賓館へ。迎賓館は京都御苑の一角にあり、御所の東に位置しています。
 ツアー開始30分前までに西門に集合。地下へ移動して手荷物検査やボディチェック、料金1,500円の支払い、注意事項の説明など一連の手続きがありました。女性ガイドによるツアーは1時15分から約1時間でした。

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雨の中、玄関に向かいます       正門

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        行灯          天上や床板は吉野杉など

夕映えの間

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        東壁面は綴れ織りの〈比叡月映〉

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      西壁面〈愛宕夕照〉の織物の一部

この部屋は大臣会合などの会議や立礼式などで使われます。

藤の間

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             綴れ織。横16.6㍍

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 舞台扉には人間国宝江里佐代子のみごとな「きり金」細工

 この部屋はもっとも大きい部屋で、洋食の晩餐会や歓迎式典の会場として使われます

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          藤の間から見た池

桐の間

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   和の晩餐室。座卓は全長12㍍。漆の一枚仕上げ

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         桐の間から見た日本庭園

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  船遊びのための和船      正面玄関

 ガイドツアーは約1時間でした。京都迎賓館は日本の匠の技を結集したまことに贅沢な建物です。

2017年10月13日 (金)

秩父まつり会館で

 今回の秩父行きは行きと帰りの墓参が中心で、間で時間があれば観光ということでした。1日目は墓参でほぼ終わり。宿は美やま温泉のホテル。今時珍しいかなり古いタイプの宿でした。
 夕食の後部屋に戻って昔話に花を咲かせました。時代は1965年前後です。高校時代の様々な思い出話の間に、すでに亡くなった先生や同級生のことが出てきます。高校卒業後の50年は長い年月です。その長い時間、私と教え子たちとのつながりが絶えることなく続いているのは大切なことです。

 2日目の朝、西武秩父駅近くの「秩父まつり会館」へ行きました。日本を代表する祭りの一つである秩父のまつりは「秩父夜祭」と呼ばれています。「秩父祭の屋台行事と神楽」はユネスコの無形文化遺産に登録されています。

 まつり会館にはみごとな屋台と笠鉾がありました。

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       屋台             笠鉾

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             美しい装飾

 館内では屋台の周辺でプロジェクションマッピングが行われ、祭りの雰囲気をバーチャル体験できます。
 また、3Dで秩父のいろいろなまつりを紹介するシアターもあり、伝統文化や芸能がよくわかりました。

秩父神社

 この神社の例大祭が夜祭りです

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 秩父の夜祭は毎年12月3,4日に行われます。今年は土日なので40万人前後の観光客で賑わうとのことです。一度見てみたいものです。

 今回の観光はこれだけでした。山梨での葡萄狩りもやめて、御坂峠を下る途中で「ほうとう」をいただきました。

 明日14日から15日は大阪と京都の美術館めぐりです。あいにく雨の予報ですが、「北斎展」「国宝展」などこの秋の人気美術展をはしごします。

2017年10月12日 (木)

秩父へ、秩父から

 裾野から須走、大月径由で秩父へ

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久しぶりに御殿場線裾野駅に降りました。SLの頃から残っている木製の跨線橋

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御殿場市南部からの富士山。雪がまったくありません

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    須走の道の駅から       御殿場大野原から

秩父から

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国道140号線=彩甲斐道路    ダム湖をループ橋で迂回
(さいかいどうろ)

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紅葉が始まっています     リニア鉄道テスト線

 国道140号線の山梨側は「雁坂ロード」と呼ばれています。県境を挟んで雁坂トンネルがあります。全長6,625㎞で国内5位の道路トンネルです。最高標高は1,200㍍。長~いトンネルでした。

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              河口湖

富士山麓を走ると富士山が気になって探してしまいます。

2017年10月11日 (水)

懐かしい人を訪ねて秩父へ

 50年前に勤めた学校の教え子たちと秩父の山里に懐かしい人を訪ねました。当時の生徒にとっては恩師、私にとっては公私ともに大変お世話になった年上の先生のお宅を訪ねました。先生は惜しまれながら53歳の若さで退職され、年老いた両親の待つ秩父へ帰られました。帰郷された先生はその後20年ほど地域で活躍されていましたが、不慮の事故で急逝されました。

 今回は先生の墓参と、健在でいらっしゃる奥様にお目にかかることが目的でした。先生のお宅は定峰峠の近くです。っわたしたちの乗ったマイクロバスは秩父の中心部から定峰へ向かい七曲がりの狭い道を峠の方へ登って行きました。途中、人家も何もない道を進みようやく集落に出ました。

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 3代将軍家光の時代から14代続く旧家です。現在のお宅も築後100年です。

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        お墓はお宅の裏手にありました
お世話になった先生のお墓にお花を供え、線香をあげました

 私は先生の奥様に48年ぶりにお目にかかりました。86歳になられる奥様はお元気で、当時のことをよく覚えていらっしゃって感激しました。 奥様は私たちが訪ねるのを心待ちにされていました。二人の優秀なお嬢様やお孫さんのこともいろいろお聞きしました。

 一緒に行った教え子たちは70歳前後です。半世紀前にお世話になった先生を偲び、奥様にお礼を申し上げて自分の若い頃を振り返る特別の旅でした。

2017年10月 7日 (土)

瀬戸内海の風景

 多島海である瀬戸内海は点在する多数の島々が美しい風景を作り出しています。呉の沖合にも有人、無人の多くの島があります。

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いくつもの島々が見えています。手前の木のあるところは本州で
その向こうの集落は倉橋島です

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手前は本州、遠くに霞んでいるのは四国。左右に島

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   手前が本州、第二音戸橋を渡った向こうが島

JR呉線の車内から見た瀬戸内海

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呉線と国道が海岸を並行して走っています。右はカキ棚。
戦争中は海側の風景を見ることはできませんでした。ブラインドを開けるとスパイとされました。
私の生まれた家からも呉港は見えたのですが、南側の雨戸は一年中閉じたままでした。見ることを許されませんでした。

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    波静かな光る海    子どもの頃泳いだ海水浴場

呉や広島の人にとって、海は様々な想いにつながっています。

2017年10月 6日 (金)

呉の港の風景

 かつて軍港だった呉港は戦後、造船を中心とする工業港になりました。現在は海上自衛隊の基地、工業港、松山や広島、島嶼部を結ぶ民間航路の拠点になっています。

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中央部先端が客船の波止場  高速船が出港

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 クレーンが林立する造船所・製鉄所=旧海軍工廠

海上自衛隊基地

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     潜水艦桟橋          潜水艦3艦 Img_2132 Img_2124
            海上自衛隊呉教育隊
ここはかつて海兵団があったところです。

2017年10月 5日 (木)

呉に残る「海軍」遺産

 呉は明治以来日本海軍の主要な軍港として鎮守府が置かれ、軍港都市として発展しました。中心市街地や海軍工廠などは空襲によって壊滅的な打撃を受けましたが、軍の主要な施設などは現在も残っています。

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旧呉鎮守府庁舎=現・海上自衛隊呉地方総監部(レンガ造り)

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         旧呉鎮守府司令長官官舎

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旧海軍工廠塔時計は今もなお時を刻んでいます

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一般市民への給水に先立って  戦艦陸奥の41㌢砲
海軍に水を供給した水道管    (砲弾は四国まで飛ぶ)

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第六潜水艇殉難の碑     二河球場内にある忠魂碑
(佐久間艇長)

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                戦艦大和っを建造した第四工場

 これらの旧海軍にかかわる遺産をどのように評価するのか・・・戦後72年が過ぎた今なお難しい問題です。

2017年10月 4日 (水)

故郷の風景

 大学の同期会で広島へ行きました。3日の昼に会食・懇談。その後希望者は呉へ向かいました。呉は私の生まれ故郷です。
 今日4日は呉在住の同級生の案内で午前中3時間濃密な「巡検」をしました。

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呉の市街地。中央奥の灰が峯(737㍍)は市のシンボルです。
その麓にすり鉢状に広がる中心市街地は意外に狭い。この画像の南側が旧軍港エリアです。

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中心市街地の東寄り。この中央部付近が私の生家のあったところです。1945年7月1-2日の大空襲でこの一帯は焼け野が原になりました。当時私は呉から東へ30㎞の町へ疎開して無事でした。

高烏山から見た景観

音戸ノ瀬戸を見おろす高烏山から見る瀬戸内の景観は見事でした

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中央左は情島。彼方に薄く見えるのは四国松山方面

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  中央:下蒲刈島、その左は上蒲刈島。いずれも呉市

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     音戸ノ瀬戸       第二音戸大橋

2017年8月29日 (火)

猛暑の京都への旅③

 京都での二日目、8月25日は「京の別邸と庭園美を訪ねて」のバ 

スツアーに参加しました。

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           京都駅烏丸口 バス発着場

旧三井家下鴨別邸(国重文)

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             3階に望楼があります

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通常非公開の2階から      非常に珍しい水洗トイレ
見た庭園

下賀茂「福助」の京料理

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                         ハモ

旧九条家別邸 拾翠亭

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江戸後期に建てられた公家屋敷。茶会や歌会に使われました。

東本願寺飛地境内地渉成園「廬庵」

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                                                    廬庵

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                      これは門です

 通常は公開されていない施設を見ることができたり、旧財閥家の 

威力、公家のやんごとない生活をうかがうことができました。

2017年8月28日 (月)

猛暑の京都への旅②

 8月24日、午後4時に京都駅八条東口を出たマイクロバスは、二

本松先生と社会人聴講生16名の仲間を乗せて一路広河原へ。峠

越の細い道を30数㎞走って6時前に広河原に着きました。

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   藁屋根が残る集落     普段は佐々里峠に祀られている
                    地蔵様を観音堂に移して地蔵祭

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会場では多くのカメラマンが場所取りをして三脚が林立

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      夕闇迫る中に立つ「燈籠木(とろぎ)」

 広河原の松上げは江戸時代に始まる伝統行事で、愛宕山信仰に

基づく火伏せの神事です。 
 
 地松という松明を千体以上立てて結界を作ります。この地松に点

火すると広いエリアが一面火の海になります。 美しく、幻想的な光

景です。

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 鉦と太鼓の音が静かに響く中で「放り上げ松」の投げ上げが始ま

りました。次々と投げ上げられますが、なかなか大笠の中に入りま

せん。ようやく入ったのは6分後。大きな拍手がわき起こりました。

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  投げられた松の光跡      最初の着火

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         燈籠木の炎は最大限に

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     倒された大笠の火が激しく燃えさかります

 松上げが終わった後、男衆は観音堂まで練り歩き、ヤッサ踊りの

輪の中に入っていました。

 伝統的な行事が山里にみごとに残されていました。伝統を受け継

ぐ男衆をはじめ、地域の皆さんの大変な努力があってこれまで維持

されてきたのでしょう。

 すばらしい「松上げ」を見せていただいて、興奮しながらバスに乗

りました。宿に着いたのは日が変わるころでした。

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