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20日ぶりでガーデンパークへ行きました。早咲きの桜と梅が見ごろになっていました。GPにも春が来ました。この日(2/25)は浜松では珍しくほとんど風がなく、暖かい日でした。
花木園
満開の河津桜 梅 ピンクの桜が竹の緑と空の青をバックとして映えています
百華園
河津桜
河津桜の近くで咲く馬酔木(アセビ)
久しぶりに磐田へ行きました。まず国分寺遺跡公園へ。磐田市役所と磐田南高校の間にあります。遺跡整備事業の工事が行われていました。梅の木は遺跡と市役所の間にあります。一部の木は工事で撤去されようで、本数が少なくなっていました。老木が多く、懸命に頑張って咲いているという感じでした。
バックは市役所 バックは遺跡と南高
庄屋屋敷 花咲の庄 造り酒屋で庄屋を務めていた大箸家の屋敷は国の登録有形文化財に指定されています。日本庭園では梅が見ごろになっていました。
暖かい日が続いて各地の河津桜の開花が進んでいます。 花川運動公園の彼岸桜を2/19と2/22に取材しました。2/19には全体としてまだ5分前後で、花影もやや薄かったのですが、それから3日後の2/22には見ごろになっていました。
2/19
2/22
小さな渓流沿いに点々と植えられている河津桜が咲いています。本数は少ないのですが大きい木が多く、見ごたえがあります。近くでタンポポやイヌフグリなどが咲いています。渓流沿いに一周してもほぼ300mほどです。2/20.2/21,2/23はかなり混んだでしょう。休み明けの2/24日からがお花見に好都合でしょう。
寒さの厳しい日でした。最低気温は-1.0℃。午後になっても5℃前後で時折風花が舞っていました。
①滝沢 (通称 でんでんころ)
木によって8分から1分まで様々です。見ごろは1週間後でしょうか。コロナのためサクラ祭りは中止で、今日午後1時半ごろ地元の人も花見の客もいませんでした。
②都田総合公園 奥沢池の畔
梅も咲いています
河津桜はそろそろ見ごろを迎えています。
2/14 ヴァレンタインデーの日曜日。浜松では気温が20℃近くまで上がって、陽ざしの中を歩くと汗ばむような陽気。大駐車場は8割がた埋まっていて驚きました。これほど混んでいるのは1年以上ぶりのことです。 サクラの谷では節分草や福寿草などの早春の花がまだ咲いています。バラ園の横では舘山寺桜が満開を過ぎようとしていました。梅園の梅も見ごろになってきました。いよいよ春本番間近です。
福寿草が咲いている斜面
舘山寺桜
エントランスで
今日はヴァレンタインデーでした。今年いただいたチョコレートは芸術作品のようにみごとな、美しいチョコでした。 どのような工程でこのようなチョコができるのか、不思議です。食べてしまうのがもったいようなみごとなチョコです。 フーシェの「遥かなるエトワール 惑星」です。
2021年の「サクラだより」を始めます。 伊豆河津町の河津桜原木は2/10の時点で見ごろの8分咲きになっているとのことです。浜松ではようやく開花したばかりです。 2/10花川運動公園ではすでに5分咲きになっている木からまだつぼみのままの木まで様々です。 見ごろを迎えるのは20日過ぎでしょうか。
浜松で開花が遅れていた梅がようやく見ごろになってきました。 浜松フルーツパークでは、花梅が七分咲きになっています。梅園は入園口の上にあるフルーツ大橋を渡った先にあります。エレベーターで屋上にあがって橋の向こうを見れば美しく咲いている風景が見えます。長方形のゆるやかな斜面の左右と奥の3辺で咲いています。 フルーツパークは市内在住70歳以上の市民は入場料無料です。免許証などを用意してお出かけください。
フルーツ大橋から見た梅園 右上のスロープはエスカレーターの跡
紅梅:八重寒紅 赤が濃い鹿児島紅
白梅:玉牡丹(ぎょくぼたん) 天浜線フルーツパーク駅横の 踏切を通過するスズキ「カタナ」 のラップ列車
年明けから気温が低い日が続いたこともあって、春の花の開花が遅れています。 2/7、わが家の近くの小公園の河津桜がようやく数輪咲きました。昨年は1/24に開花、2/4には満開になっていたので、2週間遅れです。11年ほど前に地域の皆さんと植えた10本の河津桜が大きくなってきました。今日はそのうちの1本で開花、ほかの木はまだつぼみです。 庭の紅梅もようやく1輪、2輪さきました。
浜松市東区有玉南町にある高林家のお屋敷の東隣で今年も梅が咲いてきました。1月になって寒さが厳しかったこともあって、例年よりも遅い開花です。梅園には数十本の古木がありますが、2/1現在ではそのうちの一部で開花しています。
梅園の左高い木立が高林邸 高林家の長屋門 国の登録有形文化財 1803年建設
高林家は江戸時代に大庄屋を務めていました。14代の高林兵衛は明治~昭和の実業家で、多様な活動の記録があります。その一つが民芸運動の支援です。柳宗悦と親交があり、柳と相談して1931年に高林家の敷地内に日本民芸美術館を建設しました。わずか2年で閉じましたが、日本の民芸運動の歴史に残る貴重な実績です。
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