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2021年1月24日 (日)

ブラタモリ「呉」

 1/23日に放送された「ブラタモリ 第174回」は呉でした。お題は「呉~”戦艦大和のふるさと”呉はどうしてできたか」でした。
呉は私の生まれ故郷です。生まれた町がどのようにとらえられるのか、興味を持って観ました。
 呉と言えば旧軍港、そして戦艦大和です。番組もそこから始まりました。呉の町は北の灰ヶ峰を中心にして三方を低い山に囲まれ、南だけが海に向かって開けています。そして南側の瀬戸内海には数々の島々があり、港の出入り口を封鎖した感じになっています。
 市街地が狭いため、東西の山の手に向かって住宅地が広がり、急な階段を登って行くことになり、その様子が紹介されました。
 私が生まれた家は、中心部の右手を少し入ったところでした。市内電車が走る本通を右折して坂道を登ったところです。家の前には道路がなく、石段を登った記憶があります。高台ですから座敷の縁側から灰ヶ峰などはよく見えました。車も自転車も使えません。家の南側にわが家の借家が2軒ありました。その借家の南側の窓からは軍港がよく見えます。しかし・・・窓から軍港を見るのはスパイ行為だということで、昼間でも雨戸は締め切りになりました。市内には田んぼや畑はありませんでした。
 幼稚園には坂を下って街中を横切り、中心部の西側まで通いました。国民学校は坂を下って間もなくでそれほど遠くはありませんでした。
 というわけで、タモリが紹介してくれた呉の地形についての話に、自分の記憶と重ねながら共感した次第です。
 私の生まれた家は、1945年7月1日夜半からの大空襲で灰燼に帰しました。私たち一家はその年3月から安芸津町に疎開していたので無事でした。その後,呉市内東部の町で生活することになりました。
 数年前、呉を訪ね、生家の近くまで行きましたが、正確に探し出すことはできませんでした。大和を建造した旧海軍工廠の近くへも行きました。「この世界の片隅に」に登場する場所も訪ねました。

 「ブラタモリ」を観ながらいろいろなことを思い出しました。

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