広島原爆の日と「黒い雨」
今日8月6日は広島に原爆が投下されて75年目になります。今日と同じ猛暑の朝8時15分、市内中心部に原爆が投下されて14万人が犠牲になりました。当時、広島では75年後まで草木が生えないと言われました。その75年が過ぎて広島は緑豊かで大きな都市に発展しています。
広島県人である私にとって、この日は特別な日です。私は呉市で生まれ育ちました。広島からは瀬戸内海沿いに約25㌔で、原爆の掘害は全く受けていません。私は国民学校3年生の夏休みでしたが、春休みから一家で呉からさらに東に20㌔の町に疎開していましたので、原爆のことはわかりませんでした。私の生家は7月1日の大空襲であとかたもなく焼け落ちました。戦艦大和などを造った軍港呉は米軍にとって主要な攻撃目標でした。
原爆から10年後の1,955年、広島大学に入学しました。授業を受けた先生の大半が被爆者でした。その中の一人が英語を教わった雑賀忠義教授でした。東洋と西洋の文明に幅広く造詣の深い先生が書かれたのが平和公園の原爆記念碑の碑文です。「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」。刻まれている字も先生の筆跡です。
倫理学の森滝市郎教授は後に原水協と別れた原水禁の代表を務められました。
今日の広島での式典は、コロナ禍で参加者が例年の5万人が800人になり、静岡からの高校生平和大使も派遣できなったとのこと。原爆投下から75年過ぎましたが、これまでに原爆死没者として名簿に記載された人は32万人を超えています。今なお13万人を超える人が被爆者健康手帳を持っています。
最近のニュースでご存じの通り、広島地裁で「黒い雨」による健康被害を受けた人の居住地を住民の訴えのとおり拡大することを認め、84人全員が被爆者として認められました。原告の平均年齢は私と同じ83歳です。75年過ぎてもまだ原爆の被害は終わっていないのです。
今日の「広島原爆の日」。私はシネマイーラで「黒い雨」を見てきました。1989年公開で、日本の映画の歴史に残ろ名画です。いろいろな思いをしながら感動した一日でした。
添付の画像は雑賀先生揮毫の記念碑銘文とモルタルに残る黒い雨(原爆資料館)
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