「光明電鉄の消長」展:磐田市歴史文書館
昭和初年にわずか6年ほど運行されただけで消えていった光明電気鉄道の計画から破綻までを、地域の貴重な資料から明らかにする企画展です。
光明電鉄は現在のJR磐田駅隣接の新中泉駅から二俣町駅を結ぶ19.79㎞の電気鉄道でした。駅は19。時速60㎞で走る高速電車で磐田~二俣間を30数分で結びました。
開通したのは1928(昭和3)年11月(全線開通は1930年)。運行停止は1935(昭和10)年1月。その間わずか6年2ヶ月でした。開通当初から赤字が続き、最後は電力の供給が絶たれて運行できなくなりました。
この鉄道が計画されたのは、①北遠の木材の輸送 ②佐久間久根鉱山の銅鉱石の輸送 ③電力は水力発電により、その水は灌漑に利用 など地域の総合開発とも言える構想によるものでした。
しかし、大正末期の事業開始の時点から会社運営に関わっていた県外者の多くが撤退し、株主も減少するなど財政的な危機の中での開通になりました。
開通後も財政難は一層深刻になり、運行を始めたバスとの競合もあってわずか6年でピリオドをうちました。「悲劇の電鉄」でした。
この企画展は様々な資料から、短命に終わった光明電鉄の構想から終末までを克明に教えてくれます。
8月26日まで。土日休館。どうぞお出かけください。
磐田市竜洋支所2階 磐田市歴史文書館 磐田市岡729-1
展示の様子(許可を得て撮影しました)
終点二俣町駅は二俣高女(その後の二俣高校)の門前です。
二俣町駅と二俣口駅の中間にある卍が栄林寺です。
光明電鉄廃線の跡
廃線跡地のうち、田川~二俣口間はその後国鉄二俣線の敷設に利用され、その区間のトンネルもそのまま利用されました。現在は天竜浜名湖鉄道の路線です。
その他の跡地はほとんど残っていません。
阿蔵トンネル
上の地図の卍栄林寺の右に有るのが阿蔵トンネルです。
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