急逝した教え子を送った日
教え子が62歳で急逝しました。県警の警察官として職務に精励するかたわら、余暇には幼少時から好きで得意だった音楽の分野で社会貢献をしてきました。58歳で早期退職した後は得意とする音楽関係の企画や指導に日夜忙しく活躍していました。
2年前の2013年のはじめ、高校時代の同級生4人のグループ「ザ・ブトン」がメンバーの還暦を記念して復活し、そのライブは大きな反響を呼びました。この2年間、ライブのほかに浜名湖フォークジャンボリーや浜松やらまいかフェスティバルに参加するなど、次々と演奏の場が広がり、その美しいハーモニーと叙情性豊かな歌唱は多くの人の共感を得ていました。
そのリーダーが逝ってしまいました。
ザ・ブトンのメンバーから、体調が悪くて入院していると伝えられたのが4月27日のことでした。5月1日にお見舞に行き、40分ほどいろいろな話をして握手をして別れてから1週間後に亡くなりました。
音楽については類い希な才能を持つミュージシャンであり、妥協を許さない信念の人でもありました。
今日の葬儀は悲しく、辛いものでした。残された遺族・親族のほかに、ザ・ブトンの残された3人の仲間、高校の同級生、県警時代の上司や同僚など多くの人が悲しみの中で彼を送りました。
ザ・ブトンの仲間の弔辞は思い出をたどりながら、やさしく呼びかけるように珠玉の言葉で彼を送りました。
故人の次男が父の作曲した曲をサックスで演奏し、霊前に捧げたのも涙を誘いました。
式場でいただいた喪主の挨拶状には次のように記されていました。
「父が奏でた”充実した人生”という調べ」・・・彼方でも大好きな音楽の中で、穏やかな時を紡ぐのでしょう。私たちは父が奏でたメロディーを胸に、これからも歩んでまいります。
リーダーを失った「ザ・ブトン」は残された3人で演奏活動を再開することでしょう。そのことを故人が一番喜ぶと思います。
静岡からわが家に帰るまでの間、運転しながらザ・ブトンのファーストアルバムのCDを聴きました。〈ザ・ブトンのテーマ〉〈この橋を渡れば〉〈蓬莱橋〉などのオリジナル曲は何度聴いてもすてきな曲です。
これまで美しく、楽しい音楽をたくさんありがとう。安らかに眠ってください。
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