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5月15日に80歳の誕生日を迎えたばかりの美輪明宏の「黒蜥蜴」を見ました。2回の休憩を挟んで3時間45分の長丁場。ほとんど出ずっぱりで長いセリフ、10回近い早変わり、ダンス、階段昇降・・・ハードな舞台をほとんど年齢を感じさせないみごとな演技で美しく演じた美輪明宏でした。28日・浜松アクトシティ大ホール。
前回見たのは2003年4月、同じ会場でした。それから12年、美輪明宏はその時とほとんど替わらない印象でした。前回明智小五郎を演じたのは高嶋政宏でした。
「黒蜥蜴」は原作:江戸川乱歩の探偵小説、脚本は三島由紀夫。美輪が三島に懇願されて旧名丸山明宏の名で初演したのは1961年7月のことで当時34歳でした。以来46年の年輪を重ねてきた「黒蜥蜴」です。
女盗賊黒蜥蜴と探偵明智小五郎との壮大な悲恋を描いた、退廃的で妖しい美しさに満ちたステージは魅力的です。美輪明宏は主役を演じるだけでなく、演出・美術・衣装まで手がけています。黒いドレス、和服、宝石が光り輝くドレス、終幕の白いドレスなど豪華な衣装の美しさ、美しく豪華な舞台装置も見応えがあります。特に第3幕の人間人形の部屋の豪華絢爛な舞台は息を飲む美しさです。
三島は美しい日本語の脚本を書き、美輪はそれを美しく語っています。
大ホールを埋めた2000人近い観客は3時間余の長い舞台に集中していました。幕が下りてカーテンコールが⒉度3度と続き、やがてスタンディングオベーション。
美輪明宏は80歳を迎える今年で「黒蜥蜴」の舞台にピリオドをうつことを明言しています。
浜松での公演の10日前、神奈川での公演を声が出ないことから休演した美輪明宏です。果たして浜松での公演が実現するか・・・心配されましたが無事にすばらしい「黒蜥蜴」を見ることができました。
これで見納めでしょうか。
明治以後の「新版画」の代表的な制作者で、大正から昭和にかけて活躍した川瀬巴水(1883-1957)の生誕130年記念展です。デビューの遅かった巴水の30代半ばの作品から絶筆に至るまでの約200点が出品されています。
巴水は国内各地に旅に出てその時のスケッチを元に版画を制作しています。旅は100日以上に及ぶこともありました。版元の渡邊庄三郎と組んで制作した木版画は600点を超えています。
全国を旅して描いた風景画から、「旅の版画家」「旅情詩人」などと呼ばれ、「昭和の広重」とも称されます。
巴水の作品は海外での評価が高く、近年ではアップルのスティーブ・ジョブズがコレクションとしたことで知られています。
精緻な描写、美しい色使い、見事なグラデーション、光の表現など巴水のみごとな木版画を紹介します。
駿府博物館で6月7日まで。
この春卒業後50年を迎えた教え子の同窓会に出かけました。定時制の生徒ですから、今年誕生日が来て70歳です。中には72,3になる教え子もいます。
その中で一人、50年ぶりに会った教え子がいました。いろいろ面倒なことがあった生徒で、私が転任した後、退学してしまいました。彼は当時のことを鮮明に記憶していて驚嘆しました。私の頭の中では忘却の彼方にあることを次々と語ってくれました。
女性の中には70歳を過ぎてゴルフの国体県代表の選手兼コーチとして活躍しているすばらしい人もいます。
学校を卒業して半世紀、それぞれの人生がにじみ出たスピーチに感動しました。
清水は私が半世紀以上前に教員生活をスタートさせた町です。巴川に沿った巴町や真砂町など、よく通ったバー(今のスナック)があった通りにはその頃の面影が残っていました。
久しぶりに演劇を見ました。これまでかつての「労演」の主宰する演劇を50年以上見てきましたが、そろそろ見納めになりそうです。
今日のお芝居は劇団文化座の「あかきくちびるあせぬまに」す。主役のタヅを演じたのは佐々木愛です。父親の佐々木隆と母親の鈴木光枝が創立した文化座はその二人が逝った後、佐々木愛が代表を務めています。
佐々木愛と言えば私には忘れられない思い出があります。今から40年以上前の1970年代前半のことです。当時若い仲間が集まって島田市民劇場を設立し、私は中心的な役割を務めていました。
ある例会で文化座の「土」を上演しました。主役は鈴木光枝、娘の佐々木愛は’つぎ’の役で母親と共演することになっていました。私たちはその親子共演のステージを楽しみにしていました。
ところが・・・公演間近になって佐々木愛休演の連絡があり、一同落胆。当日芝居がはねた後、私は主役を熱演した鈴木光枝を会場から宿の旅館まで徒歩で案内して行きました。鈴木光枝は宿に着くまで、娘の休演について「プロの役者としてあってはならないことでとんでもないことだ」と怒りに満ちた表情で私に語ってくれました。
佐々木愛の休演の理由は「妊娠」でした。鈴木光枝は役者である以上舞台に穴をあけるようなことは絶対に避けなければいけない。たとえ自分の娘であっても許せないことだと語りました。強い口調で私は驚きました。
今日のステージではその佐々木愛が鈴木光枝の当たり役をみごとに演じました。
島田でのステージを休演したとき、佐々木愛はまだ30前の若手の女優でした。今72歳。その佐々木愛に40年前の母親の言葉をどう思ったのか聞いてみたいと思いました。
中区花川にある「ばらの都苑」は個人のバラ園で無料で公開しています。入口付近に募金箱が置いてありますが、気がつかない人も多い様子です。
お城や五重塔など立体構造で展示してあるのが特徴です。磐田農業高校のように品種などを明記したプレートはしっかり整備されていません。
バラはピークを過ぎて散り始めていました。女性の見物客が三々五々美しいバラを楽しんでいました。
NHKが取材中でした。21日(木)6時10分からの「たっぷり しずおか」の「みーつけた!」のコーナーで放映されるとのことです。
画像はすべて携帯による撮影です。7月の花火大会の打合せで業者の事務所へ出かけた帰りに立ち寄ったのですが、あいにくカメラを携行していませんでした。
広島カープを久しぶりに浜松に迎えた一戦は、今年のカープを象徴するようなゲームで、完投した前田は敗戦投手になりました。
1回表に先制、2回表に前田の二塁打で勝ち越しました。その裏、2死満塁からショートオーバーの安打で2失点で逆転されました。前田はその後立ち直って完投しましたが、打線が振るわず、力投の前田を援護できませんでした。被安打9のうち6が1,2回に打たれたもので立ち上がりが不安定でした。
入場者は18,823人でほぼ満席。浜松球場ではこの数年間で客の入りがもっとも良かった試合でした。赤ヘル応援の人たちの多いのが印象に残りました。
教え子が62歳で急逝しました。県警の警察官として職務に精励するかたわら、余暇には幼少時から好きで得意だった音楽の分野で社会貢献をしてきました。58歳で早期退職した後は得意とする音楽関係の企画や指導に日夜忙しく活躍していました。
2年前の2013年のはじめ、高校時代の同級生4人のグループ「ザ・ブトン」がメンバーの還暦を記念して復活し、そのライブは大きな反響を呼びました。この2年間、ライブのほかに浜名湖フォークジャンボリーや浜松やらまいかフェスティバルに参加するなど、次々と演奏の場が広がり、その美しいハーモニーと叙情性豊かな歌唱は多くの人の共感を得ていました。
そのリーダーが逝ってしまいました。
ザ・ブトンのメンバーから、体調が悪くて入院していると伝えられたのが4月27日のことでした。5月1日にお見舞に行き、40分ほどいろいろな話をして握手をして別れてから1週間後に亡くなりました。
音楽については類い希な才能を持つミュージシャンであり、妥協を許さない信念の人でもありました。
今日の葬儀は悲しく、辛いものでした。残された遺族・親族のほかに、ザ・ブトンの残された3人の仲間、高校の同級生、県警時代の上司や同僚など多くの人が悲しみの中で彼を送りました。
ザ・ブトンの仲間の弔辞は思い出をたどりながら、やさしく呼びかけるように珠玉の言葉で彼を送りました。
故人の次男が父の作曲した曲をサックスで演奏し、霊前に捧げたのも涙を誘いました。
式場でいただいた喪主の挨拶状には次のように記されていました。
「父が奏でた”充実した人生”という調べ」・・・彼方でも大好きな音楽の中で、穏やかな時を紡ぐのでしょう。私たちは父が奏でたメロディーを胸に、これからも歩んでまいります。
リーダーを失った「ザ・ブトン」は残された3人で演奏活動を再開することでしょう。そのことを故人が一番喜ぶと思います。
静岡からわが家に帰るまでの間、運転しながらザ・ブトンのファーストアルバムのCDを聴きました。〈ザ・ブトンのテーマ〉〈この橋を渡れば〉〈蓬莱橋〉などのオリジナル曲は何度聴いてもすてきな曲です。
これまで美しく、楽しい音楽をたくさんありがとう。安らかに眠ってください。
前節のセレッソ戦に続く連勝でトップに戻りました。実力に勝るジュビロがはじめからゲームを支配しますが、前半33分に水戸がワンチャンスのCKを決めて先制しました。
後半12分、太田に替わって松井が入りました。その1分後、小林のパスを受けた松井が左足でみごとに決めて1-1に。
松井の同点ゴール
逆転のゴール:康太のFK
この試合の「マン・オブ・ザ・マッチ」に選ばれた康太。ゲームキャプテンを務めました
上田康太のこと
康太は2005年、ジュビロユースからトップに昇格し、2010年まで6年トップで活躍しました。その後大宮へ移籍して4年。さらに岡山に1年在籍。今年6年ぶりでジュビロに復帰しました。MFとしてボランチなど大切な役割を果たしています。ジュビロユース時代は磐田東高に在籍・・・成績優秀な模範生でした。人柄も穏やかでみんなから好かれる好青年です。今日は康太の29歳の誕生日で、記念すべき逆転ゴールでした。
シュート数は15:5,ゴールキックは6:19と、数字を見ても力の差が明確な両チームの対戦でした。ジュビロにシュートの精度があれば大差がついたはずです。
水戸の船谷(10)
ゲームキャプテンを務め、先制点のCKを蹴った船谷もジュビロユースからジュビロのトップチームで活躍した選手です。磐田東で康太の1年先輩です。今日のゲームではその二人がゲームキャプテンとして対決しました。見どころの一つでした。
5月3日から5日までの浜松まつりが終わりました。記念すべき30周年を迎えたわが町のまつりも特に問題もなく無事に終わり、責任者としてホッとしています。二日目の凧揚げと子どもの町内練りは雨のために中止になって残念でしたが、その他は予定通り実施できました。
今年は初家が8軒、初子12人、初凧6枚、初練り7軒でした。昨年よりも少ないのですが参加174町の中ではかなり多い方で、他町からうらやましがられています。
最終日は昼間の子ども凧揚げなどの後、夜は町内の練りでした。昨年から夜10時までに会所へ帰着するようにという申し合わせがあり、初日と二日目は10時をわずかに過ぎた時間に戻りました。最終日も予定通り進行していたのですが、最後に余韻を楽しむ感じで時間を費やしたため帰着が少し遅くなりました。
この3日間で歩いた距離は、3日16㎞、4日5㎞、5日14㎞で合計35㎞でした。この距離はJR東海道線で浜松~菊川に相当します。去年は40㎞でしたが、今年は二日目が雨で凧揚げ会場へ行かなかったのでその分少なくなりました。それでもかなりの距離で私にとってはハードでした。
今夜は襷脱ぎ(反省会)です。本当にお疲れ様でした。
浜松まつり二日目は雨のためわが町では凧揚げと夜の子どもの練りは中止になりました。昨日の初日は昼間の凧揚げ会場と夜の町内初練りで約16㎞歩きました。JRでは浜松から磐田と袋井の中間までの距離になります。
夜の練りまでの間に時間ができたので天竜区の秋野不矩美術館へ。午前10時過ぎに入りましたがすでにかなりの人でした。11時頃には駐車場はほぼ満車。3日の午後はかなりの混雑だったということです。この美術館がこれだけの入館者を迎えるというのは何年ぶりのことでしょうか。
特別展としての加山又造展にはそれだけの魅力がありました。
加山又造(1927-2004年)は戦後を代表する日本画家です。幼少時から画才を発揮した加山は、東京美術学校を卒業後「創造美術」に作品参加し、その後改組された「創画会」で秋野不矩などと共に活躍します。今回の特別展は秋野との縁があって開かれたものです。
加山は没する前年の2004年に文化勲章を受章しています。
今回の展覧会には大作から小品まで約50点が出品されています。
〈淡月〉1996年 加山は京都祇園の枝垂れ桜をよく描いたとのことです。今回の展覧会のポスターやチラシに登場する美しい絵です。4曲1隻屏風。横375.5。
〈若い白い馬〉1950年・23歳。東京美術学校卒業間もなくの頃の作品です。西洋美術の強い影響を受けたことがわかります
加山は牛・馬・象・ひょうや鳥などの動物を描いた作品を多く残しています。
〈紅鶴〉1957年・30歳 フラミンゴはため息が出るほど面白い!と。
猫:加山は大の猫好きでした
風景:特に冬の自然を愛し、多くの作品を残しました
版画:30代前半から取り組み始め、装飾的な作品を多く制作しています
雑誌の表紙:「野鳥」「中央公論」などの表紙
動物や鳥、猫などを描いても1枚1枚構成や色遣い、筆遣いなどに創意工夫があります。
伝統的な日本画の技法を基本にしながら常に確信を求めて来たことがよくわかります。今回のサブタイトルは「伝統と革新の日本画」です。装飾性豊かな加山の作品に魅了される展覧会です。
会期は6月7日(日)までです。ぜひどうぞ。
倉敷の大原美術館は日本で初めて西洋美術を本格的に鑑賞できる美術館として1930年に開館しました。今年で85年の歴史があります。ミレーの会では2011年の美術館巡りの旅で、直島の帰りに寄りました。
今回の展覧会はその大原美術館から①設立までの道をたどる作品②西洋絵画の優れたコレクション③日本近代美術の名作④民芸運動の作家たち⑤現代美術 の5つの分野から75点が出品され、大原美術館の歴史や果たしてきた役割を伝えてくれるとともに、数々の名画を見せてくれます。
(画像をクリックすると大きくなります)
上の3枚はいずれも画家・児島虎次郎の作品です。虎次郎は大原孫三郎の盟友であり、孫三郎の支援を受けて渡欧し数々の名画を収集しました。画家としても優れた力量を示しています。
下の3枚は西洋絵画の名作です。㊧:シニャック〈オーヴェルシーの運河〉 ㊥:マティス〈エエトルタ-海の断崖〉 ㊨:ギヨマン〈ラ・セデルの丘〉
今回のポスターやチラシを飾るモディリアーニ〈ジャンヌ・エビュテルヌの肖像〉。おなかの部分をよく見るとややふくらんで見えます。懐胎しています。
上の4枚は日本近代美術の作品。㊧:萬鐵五郎〈雲のある自画像〉
頭上の2色の雲は何を表現しているのでしょうか。
㊧から2枚目 岸田劉生〈静物 赤りんご三個、茶碗、ブリキ缶、匙〉
非常に精緻に描かれています 3枚目 梅原龍三郎〈裸婦扇〉
この隣りに安井曾太郎の作品が並んでおり、両者の違いがよくわかりました。 ㊨:藤島武二〈耕到天〉・・・国威発揚の作品とか・・・。
中段㊧:棟方志功〈大原寿恵子歌集より「梨花の柵〉 ㊨;芹沢銈介〈伊曽保物語屏風〉
下の3枚は現代美術。㊧:山口晃〈倉敷金刀比羅図〉 ㊨:北城貴子〈Waiting Light -muison-so-〉 美しい緑です
ミロ〈夜の中の女たち〉
画面右側が月のある明るい風景、左は星で暗い。その中で女たちがうごめいています
チラシにはありませんが、青木繁〈男の顔〉や現代絵画の福田美蘭
〈モネの睡蓮〉なども印象に残りました。
静岡市美術館は毎日午後7時まで開館しています。5時頃入館しましたが閑散としていました。
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