京都嶋原 司太夫 の特別講座
静岡文化芸大二本松先生の「日本文学作品研究」の授業で京都嶋原の司太夫(つかさたゆう)の特別講座がありました。
嶋原で一軒だけ残る揚屋である輪違屋(わちがいや)の太夫です。
京都から浜松への移動ということで、今日は頭も衣装も略式でした。正装の場合、頭だけで4㎏、着物は20㎏履き物の三つ足が両方で4㎏合計28㎏ですから相当な重量です。
右襟を見ると襟がかえっています。宮中へ参内するための「パスポート」です。帯が前で結ばれています。高貴な人は前で結んだのだそうです。これで「心」という字を表しています。
足元に注目…裸足です。客よりも一歩下がることを意味しています。
頭は鬘ではなく自毛(芸妓は鬘)。口紅は下唇だけ。唇を小さく見せるためです。歯にはお歯黒。歯を出すのははしたないから。
今日の講義は京都の花街(かがい)の歴史から始まりました。
天正17年(1589)、秀吉の許可を得て柳町が開設されたことに始まります(遊里)。慶長7年(1602)家康の時、六条に三筋町ができました。ところが寛永18年(1641)西新屋敷に追いやられてしまいました。この混乱を島原の乱に例えて「嶋原(島原)」と呼ぶことになったそうです。
現在京都には五つの花街があります。祇園・祇園東・先斗町・上七軒・宮川町です。これらの花街と嶋原の違いは?
今日の講義で、嶋原の客は公家や武家であり、その他の花街の客は町衆であったことが決定的な違いであり、嶋原は格式が高いことが繰り返し説明されました。
たとえば衣装では嶋原の太夫が十二単衣形式であるのに対して、舞妓の衣装は町の娘の衣装です。
基本的に公家文化と町衆文化の違いでしょうか。公家や武家を相手にする太夫は,歌舞音曲はもちろんのこと茶道、香道、琴、俳句など幅広い分野で高い知識や技術を持つことや、政治経済などについても客と対等に会話できる教養が必要とされるとのことです。
司太夫は舞妓でしたが輪違屋の太夫がやめたときに誘われて太夫になりました。現在輪違屋の太夫は3人。
司太夫は京都観光おもてなし大使として京都文化の宣伝役を務めています。今日の講義もその一環です。60分余の講義に続いて、「いにしえ」という舞を披露してくれました。嶋原にしかつたわってない舞です。教壇で、裸足での舞でした。
これまでほとんど知ることのなかった嶋原を中心にして京都の文化について興味深い話を聞くことができました。
司太夫の京都と嶋原と太夫に対する熱い思いと、伝統の京文化を後世に伝えようとする意欲がみなぎった講義でした。
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