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高校野球春の西部大会第1シードの磐田東は2回戦から登場しました。その結果は…スコアボードが示すとおりでした。
序盤の乱戦がやや落ち着いた8回にようやくリードして迎えた9回裏。適時打で同点にされた後、盗塁されて二死二塁。最後になるかと思われた打者の内野ゴロは一瞬セーフになり、その間に二塁走者が好走してサヨナラのホームを踏みました。
㊧:ボールはグラブに収まっていません。明らかにセーフ
㊨:サヨナラのランナーが生還してゲームセット
この試合、磐田東は先発ピッチャーが絶不調で1回裏に失点3で早くも降板。コントロールがまったく定まらず,交代が遅すぎました。二番手、三番手もそれぞれ失点し、好投していた4人目の投手も最後につかまりました。
走塁や守りのミスもあり、打線も中盤以降不発で追加点が奪えず、第1シードの片鱗はどこにも見られない嘆かわしいゲームで残念でした。
夏まで4ヶ月…間に合うのでしょうか。
浜松フラワーパークではサクラとチューリップが満開で「日本一美しい桜とチューリップの庭園」という構想が実現しています。サクラの名所とチューリップの名所は全国各地にありますが、両方が同じ場所で同時に咲くのは浜松だけという着想です。
4月から新しく理事長に就任予定の塚本こなみさんの浜松フラワーパーク大リニューアル構想が着々と実行されています。市は2月補正予算で対応して改革を前倒しで進めています。
28日午前、朝方の小雨がやんで晴れてきたので事務的な仕事は後回しにしてフラワーパークへ。予想に違わぬ美しい風景でした。
サクラとチューリップ
30万球のチューリップ
これから1週間がもっとも見頃と言えるでしょう。今週末は相当な人出で混雑しそうです。4月1日からは入場料が改定されますのでお気をつけください。
19日、地元の中学校の卒業式がありました。3年生だけで7学級250人を超える大規模校です。証書授与だけで30分以上かかりました。3年生代表の答辞は立派な内容で感心しました。2時間に及ぶ長い式の間、生徒は落ち着いて式に集中していました。服装や頭髪も全員ととのっていました。誠に厳粛な雰囲気の中で式が執り行われたのは当然のこととは言え、日頃の指導の賜物です。
式が滞りなく終わり、最後は3年生全員が歌う「旅立ちの日に」です。ステージの上から下まで各学級1列、計7列に並び混声合唱でみごとに歌いあげました。一人一人大きな声で3年間の思いを込めて…。歌いながら涙している生徒も何人かいました。それを見て担任の先生の目に涙。私も目頭が熱くなってきました。
卒業した3年生は4月から進路がいろいろ分かれることになります。どのような道に進もうともそれぞれの道で大きく成長することを願っています。
一夜明けて今日は吹奏楽部の第12回定期演奏会が学校の体育館で開かれました。県大会に10年以上連続して出場、東海大会の常連でもある「名門校」です。36人の1,2年生で10曲演奏しました。なかなかの迫力でした。合間には新津中学校の友情出演もありました。両校の顧問(師弟)によるサックスの重奏もみごとでした。
最後に昨日卒業したばかりの3年生も加わって50人近い大編成の演奏。
アンコールの「威風堂々」の後は、会場の全員で「花は咲く」を高らかに歌いました。
大勢の地域の皆さんが中学生の演奏を楽しみました。地域の学校、地域の子どもたちをこれからも地域で支えていきたいと思います。
川村清雄(1852-1934)は幕末の江戸で旗本の子として生まれました。明治初年にアメリカとヴェネツィアに留学して西洋美術を学びました。帰国した日本はフランス美術の強い影響を受けており、清雄の絵画は時流からはずれていました。
その後、勝海舟や徳川家達などの庇護を受けて、油絵の描き方に日本画の技法を取り入れた独自の画法で歴代将軍や明治の偉人の肖像画、風景画などヨーロッパでも高い評価を受けた多くの作品を制作しました。日本の近代絵画史上で重要な役割を果たした清雄の全画業を展望する大規模な展覧会です。
221点という多数の出品のうち、清雄の絵画は約100点。その中にはオルセー美術館から里帰りした晩年の傑作《建国》や《徳川家達》《勝海舟》《天璋院(篤姫)》などもあります。
出品リストのうちの100点以上は幕末維新の歴史資料です。維新と同時に家達らと共に静岡に移り住み、静岡に縁のある清雄の人生を多くの資料から解明しようとしています。
静岡県立美術館所蔵の絵画は4点だけで、出品作の多くは東京都江戸博物館や徳川記念財団及び個人蔵です。
歴史資料の大半は祖父が初代奉行を務めた新潟の市歴史博物館阿からの出品です。
清雄は1934年没。昭和9年のことです。幕末から昭和の時代までを生きた清雄が今注目されています。
充実した内容の企画展でした。1913年愛知県半田市に生まれた新美南吉は今年が生誕100年にあたります。「ごんぎつね」や「手袋を買いに」などの童話で私たちの記憶にいつまでも残っている南吉のおいたちから死後現在に至るまでを数多くの資料でていねいに見せてくれます。
成績優秀だった少年期、病に冒されて苦しんだ青年期…そして29歳で夭折しました。
小学生時代の書き初めや綴り方帳から始まって、中学生時代に書いた最初期の童話、「手ぶくろを買ひに」の原稿、作品の掲載された多くの雑誌、生徒に贈った本や色紙、いくつかの手紙やはがきなど、半田市にある新美南吉記念館の所蔵品を中心として彼の全体像が把握できる豊富な資料を興味深く見ることができました。
それらの中に、安城高女教諭時代に修学旅行で出かけた時、仲間の教諭と一緒に書いた画帖が3点ありました。絵心も豊かで楽しい作品です。幸せな時代だったのでしょう。
今回の企画展では「絵本原画でたどる南吉童話の世界」がもう一つの見所です。
棟方志功や池田あさこ、石倉欣二、黒井健、かすや昌宏など12人の画家による約100点の作品が南吉の世界を十分に見せてくれます。
春休みの日曜日ということもあって、親子連れの姿が多く見られました。親の世代にとっては小学校4年生の時に国語で習った懐かしい教材です。「ごんぎつね」のせりふは今でも覚えている人が多いでしょう。南吉の世界は親から子へと受け継がれていきます。
静岡市美術館で3月31日まで。
2011年10月1日、南吉の生まれ故郷半田市を訪ねました。そのときの画像です。この時の記録はブログで10月3日にアップしています。
福岡、宮崎、大分、東京に続いて今日17日には静岡で桜の開花が宣言されました。浜松ではまだつぼみが固く、開花まで数日かかりそうです。全国の桜の開花予想や開花宣言はソメイヨシノに限って行われています。ソメイヨシノは全国どこの木でもDNAがまったく同じで、同一の自然条件であれば同時に開花するという固有の性質を持っているため、それが可能になっています。
浜松フラワーパークでも16日につぼみはふくらんできていましたが、開花には至っていません。今園内で咲き誇っているのは早咲きの桜です。
満開の雛八丈。初代の古里園長が育成した品種です。オオシマザクラと雛桜を交配。一重です。
水芭蕉が咲き始めています
菖蒲園の一番奥の右手。水路の横の湿地で咲いています
この春の目玉の一つ、チューリップはこれからです。この春は30万球の規模です。鉢植えが園内各所で咲き始めています。路地植えは葉が出た程度です。
藤棚造成中
新しい園長:塚本こなみさんお得意の藤のために池の上に藤棚と通路が作られていました
入園口の変更や花売店がショップの中に入るなど園内の各所で改革が進んでいます。
ソメイヨシノが開花していました。
緞帳が上がるとそこに見えた舞台はまさにごみの山。デザイナーズマンションの1室全体が足の踏み場もないほどのごみに埋もれています。窓の外のベランダにもごみの袋が積まれています。これがツンコの部屋です。ツンコは勤め先の会社の人事をめぐって傍観者であった自分に嫌気がさしてこのごみの部屋に引きこもっています。
そこへ高校時代の同級生でバスケット仲間のおチョビとバツミが訪ねてきます。二人はごみの山に驚きながらも片付けを始めます。やがてツンコも加わって。
舞台に登場するのはこの3人だけで、最後までこの3人の膨大な量の会話でお芝居は展開します。
ごみの片付けをしながら3人はそれぞれの過去や現在の身の上話をします。部屋の住人ツンコは同棲していた年下の男性と別れた後です。おチョビは場末の食堂のおかみさん、バツミは子どものいない専業主婦でプチ整形をしたいと考えています。
雑紙、プラスティックなど仕分けをしながらごみの片付けは進んで行きます。
50代になった3人の仲間がこれまでの生きてきた道を振り返りながら、これからの生き方を考えていく。「片付けたい」のは部屋のごみの山だけでなく自分たちの人生でもあります。
この演劇は、「グループる・ぱる」の3人のユニットによるものです。その3人とは…松金よね子・岡本麗・田岡美也子。1986年の結成ですからすでに26年以上にわたって芝居作りを続けています。この3人の緊密なチームプレイが基本にあって永井愛が台本を書いています。速射砲ののように次々と交わされるせりふも違和感がなく自然に出てきます。
現代の中年女性の生き方をユーモラスに、そして切実に描いたよくできた演劇でした。
ステージのごみは芝居の進行とともにかなり片付きましたが、明日のステージのためにごみをまた大量に配置することになります。大変でしょうね。
浜松演劇鑑賞会第409例会 アクトシティ大ホール
今日は午前、午後、夜と3つの会議がありました。いずれも自治会長として出席あるいは主宰する会議です。会議は延べ6時間。しかも、午後の会議の後は地域の小学校で学校評議員としての用務もありました。疲れました。年度末ということで総括と新年度の準備があり、いずれの会議もいつもよりは長くなります。
今月は自治会長としてかかわる用務が今のところ28件あります。1ヶ月の内19日は自治会関連の予定が入っています。年度末で小中学校の用務が5件あります。
自治会長の仕事は「町民の皆さんが安心・安全で楽しく生活できる町づくり」を目指して自治会の組織が有効に機能するようリードすることです。「組織」が有効に機能するかどうかは「人」によって大きく左右されます。幸いにしてわが町の自治会は「人」に恵まれていてありがたく思います。自治会長一人ではなにもできません。副会長や部長などの支えがあって会長が務まっています。
わが町には900余の世帯、2000人余の町民が暮らしています。今のところ特に大きな問題や難しい懸案事項はありません。
自治会の用務の間に時間を見つけて花を訪ね、美術館を訪ねています。
第4回県民オペラはおなじみの「夕鶴」でした。木下順二作・團伊玖磨作曲。国内外で800回以上上演されている名作を久しぶりに見ました。
演劇の「夕鶴」を初めて見たのは半世紀以上前のこと。山本安英のつう、宇野重吉の与ひょうでした。
前奏曲が終わって幕が上がると与ひょうが小型オート三輪を運転して舞台に登場するという意外な演出です。子どもたちは洋服を着てランドセルを背負っています。運ずと惣ども洋服でネクタイなど。このような設定にしたことについて演出の中村敬一は、團伊玖磨がこの曲を27歳で作曲した1951年の時代に合わせたと語っています。
「夕鶴」のオペラ化にあたって、木下順二は原作を一字一句たりとも変えてはならないという条件をつけたことを、芸術監督の伊藤京子は証言しています。
つうを演じたのは光岡暁恵。第5回静岡国際オペラコンクールで日本人として初の第1位に輝き、その後めざましい活躍を見せています。美しい高音が無理なく出るので聴きやすく、音量も豊かです。演技も見事で絶唱・名演でした。
男性陣はすべて県内出身者です。与ひょうは浜松出身の水船桂太郎、運ずは富士出身の高田智士、惣どは袋井出身の安藤宏隆。いずれもみごとな歌唱でした。
物欲・金銭欲に毒される人間と、純粋無垢の愛に生きるつうとの対比。欲望におぼれる人間の愚かさを笑うことはできません。人間に裏切られたつうの悲哀が胸を打ちます。
アクトシティ大ホールはほぼ満席の状態でした。
大宮とのホーム初戦には現地参戦できず、テレビ観戦でした。先週の名古屋戦はよく攻めながらも勝ちきれずドローでした。
今日のゲームも3回ほどビッグチャンスがありましたが決めることができず、後半14分頭で決められて追いかける展開になりました。シュート10本(大宮は7)でしたが結局無得点のまま終了。
「前田の呪い」のジュビロ前田は中盤で活動することが多くシュートわずか1本で後半途中交代。大宮のサポーターを喜ばせただけでした。
新加入の伊野波はよかったと思いますが、3バックのシステムが有効なのかどうか…よくわかりません。
好天に恵まれ、暖かい春の日だったのですが、入場者は10,773人で辛うじて1万人を超えた程度でした。
2戦して未勝利のジュビロ。次は2試合で9得点と絶好調のマリノスとのアウエイ戦です。厳しいでしょうがぜひ勝ってほしいものです。
気温が20℃を越えて、しばらく歩くと汗ばむような陽気になった午後、一ヶ月ぶりにガーデンパークを訪ねました。春の花が咲き始めて少し華やいできた園内は2月に比べて多くの人が散策を楽しんでいました。
早咲きの桜
梅林はほぼ満開です
ミニアイリス
春の花いろいろ
福寿草と雪割草
クロッカス
まだまだ花が少ないのですが日に日にいろいろな花が開いてあとひと月もすれば花盛りになるでしょう。運河沿いのネモフィラも4月には一面に青い花を咲かせるでしょう。
掛川・龍尾神社の枝垂れ梅が満開になり、大勢の観梅客で賑わっています。
梅の花の下では様々な花が咲いています
今日7日は9時前から自治会役員の打ち合わせを行った後、バス・JR・タクシーを乗り継いで行きました。けがをしている右手の痛みが残っているのでマイカーは断念。神社の駐車場は満車で近くの道路には入場待ちの長い車の列ができていました。タクシー利用で正解でした(掛川駅から片道910円)。見頃はまだ1週間は続くでしょう。
昨日(6日)夜のテレビ朝日ニュースステーションで紹介されていました。
龍尾神社=掛川市下西郷84
浜松フラワーパークは43年の歴史がありますが、近年は入園者が減少して経営が厳しい状況にあります。この4月から指定管理者制度を導入し、浜松フラワーパーク・フルーツパーク公社が指定管理者になります。それにともなって園長を公募した結果、あしかがフラワーパークの塚本こなみ園長が4月から新しい園長に就任することが決まりました。
先日、塚本こなみさんの講演会が開かれ、フラワーパーク大改革のお話を伺うことができました。塚本さんは女性樹木医第1号で、藤の専門家です。足利で幹周り365㌢の大藤の移植に成功し、あしかがフラワーパーク開園時から現在まで経営にかかわっています。開園後3年間は赤字続きだった園を世界一の藤ガーデンに変え、現在では年間入園者数100万人を越える日本一の民間フラワーパークになっています。公立では京都府立が70万人で日本一とか。浜松は2003年に51万人、2012年は25万人と半減しています。
あしかがでは藤の季節だけで一日5~6万人。朝7時から夜7時までの12時間開園して入園者を迎え入れているとのことです。
その塚本さんから見た浜松フラワーパークは…
①予算減で魅力的な園造りができない ②目玉商品がない ③職員の意識の萎縮とお客様目線の欠如 ④坂道が多く高齢者や障害者に優しくない ⑤トイレが旧式で使いにくい などなど
そこで次のような改革案が示されました
①日本一美しい桜とチューリップの庭園を造る
両方の花が同時に見られるのは浜松だけだそうです。今年はチューリップを去年までの倍以上の30万球植えたとのこと
②魅力アップのために藤の育成管理
2月に白藤を植えたとのこと
③入園者の使いやすい施設に
10カ所のトイレは改修する。坂道が多いことに対応して「車いす押し隊」ボランティアの活用。チューチュートレイン1編成をリースで導入(春の季節)。花売店の移設し安価に販売
④変動料金制の導入
現在は年間を通じて同じ料金を季節によって変える。たとえば花のピーク時は1,000円。盛りを過ぎると900,800.700と下げていく。
入園者が最も少ない夏場の7~9月は無料にする。
このシステムはあしかがで導入して成功しているとのことです。
入場料が高くても「花が一番きれいな時でよかった」と入園者が喜んでくれればそれでいい。「感動分岐点」が料金設定の目安になるわけです。
塚本さんのお話を聴いて、この春からのフラワーパークの大変身が楽しみになりました。園長に就任されるのは4月からですが、改革に待ったなしですでに次々と新しい取り組みを進めるよう職員に指示されているようで、職員の皆さんは大変かもしれません。
4月から5月にかけて、桜とチューリップ、藤。続いて菖蒲、ツツジ。
皆さんもどうぞお出かけください。
料金が日替わりで変わっているかもしれませんのでHPで確かめてください。
浜松出身のアーティスト柳澤紀子の個展です。平野美術館との共同開催で、市美術館では最新作を含む近年の作品、平野美術館では初期の作品を中心として展示されています。
51点の作品はエッチングを中心にアクアチント、メゾチント、手彩色の手法による作品、版画などのミクストメディアによる作品など多様な手法で制作されています。大半は雁皮紙や和紙が用いられています。
主題は原発、自然破壊、戦争、自然災害など人類が直面している現代的な課題が多く、それらをほとんど顔を見せない人、漂う舟、日本オオカミ、鹿、犬、樹木、アンモナイトの化石、水などを空間に配置することによって表現しています。原発とわかる建物も描かれています。3.11を意識した昨年の新作《転生の渚》がこの個展のサブタイトルになっています。
「水邊の庭」シリーズが15点、「Pathos」シリーズが5点などいくつかのシリーズの連作で構成されています。
一見してそれそれの作品の主題を明確に把握するのはなかなか難しいと思います。見る人の主観で感じるしかないでしょう。
私が見たのは3月1日でした。金曜日の2時からは学芸員によるギャラリートークがあるということで急いで入館しました。トークが始まった時聴いていたのは私と家内の二人だけ。そのうち数人になりましたが寂しい館内でした。
トークを聴いて初めてわかったことが多く、予備知識なしで見るとわかりにくいと思いました。
会期は両会場とも3月31日までです。
25年前に同じ職場で仕事をした仲間との飲み会がありました。四半世紀が過ぎても当時の記憶は鮮明でみんなが共有しています。
今は利害関係がなくなったメンバーとの飲み会は気楽です。つい飲み過ぎました。
今日行われた卒業式で297人の3年生が卒業していきました。1時間15分のコンパクトな式は今年もきわめて厳粛な雰囲気の中で行われました。
在校生を代表して送辞を読むことになっていた女子生徒がインフルエンザで登校停止になったために代わりの生徒の代読になるというハプニングがありましたが、それ以外はスケジュールのとおりでした。
答辞を読んだ元生徒会長の女子生徒は感極まって途中から涙…胸にジンとくる答辞でした。
理事長の祝辞は自ら体験されている100㎞マラソンを人生に例えて説得力のあるスピーチで卒業生たちに大きな感銘を与えました。
卒業生たちの胸には恒例となっているカトレアのコサージュ。さわやかな印象を残して巣立っていきました。
将来大きく羽ばたいてほしいものです。
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