60年目の同期会
中学校を卒業して60年が過ぎた今年、首都圏在住の同期生の集いに出席しました。6年ぶりのことです。この1年のうちに二人が亡くなり、体調不良の人もあって8人の会でした。会の名称は「関東地区コスモスの会」。私が卒業した中学校は「広島女子高等師範学校付属中学校」です。ご存じの方はほとんどいないでしょう。東京(現・お茶の水大)と奈良(現・奈良教育大)の女高師は知られていますが、広島は??それもそのはずです。1945年に設置されましたが、1949年に広島大学に包括され、1952年に廃止されました。実質的にはわずか4年の運命でした。卒業の時の学長は森戸辰男先生でした。
女高師開学間もない1945年8月、原爆の惨禍に見舞われました。広島県中部の瀬戸内海沿いの町安浦に移転し、旧軍隊の兵舎を校舎にしました。付属中学も粗末な木造のその兵舎の中にありました。
学校の敷地には秋になると一面にコスモスが咲いていました。同期会の「コスモスの会」はそこからきています。春には四つ葉のクローバーを探したこともありました。
1年生の1学期だけ、2学期までしかいなかった同期生も含めて集まった8人の話は尽きず、気がつけば4時間が過ぎていました。
NHK,JALなど日本を代表する企業で活躍した仲間もいて、話題は豊富でした。
なによりも60年前のことが鮮明に浮かんでくるすばらしい記憶力に感心しました。まだ貧しかった時代の青春前期…いつまでも記憶に残る3年間でした。
自由な校風で学力の高い中学校は私たちが最後の学年で、その後は広島大学教育学部付属福山中学校として現在に至っています。
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