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このブログを始めたのは2008年4月末のことです。それから3年8ヶ月になります。今日午後5時現在のアクセス数は148,772です。1ヶ月平均3,381、1日平均113になります。
画像中心のブログでほほ毎日画像をアップしています。その数15,881枚、1ヶ月平均360枚ですから毎日12枚になります。
これまでにアップした記事は1,591。カテゴリー別では「花」が最多です。
この1年で断然アクセス数が多かったのは「浜松まつり中止」に関する記事で、中止が発表された3月18日、私のブログのアクセス数は1日で2,545件に達しました。過去最高記録です。その後も連日この件に関するアクセスが続きました。浜松市民にとって、5月のまつりの中止はそれほどの関心事であったわけです。大震災から1週間後のことです。
その次にアクセス数が多かったのは森町の人気のトウモロコシに関する記事へのアクセスでした。
芸術・文化関係ではシルク・ドゥ・ソレイユ、ピカソ、ゴッホ、松井冬子など。私の定点観測の場所である浜名湖ガーデンパークの記事も人気がありました。
この夏、甲子園まであと一歩で敗れた磐田東高野球部と磐田東に関する記事へもアクセスも相当数ありました。磐田東野球部の準優勝は磐田市の年間10大ニュースに選ばれ、市民の期待と関心の高かったことがわかります。
現在のアクセス数が148,772ですからあと1,228で150,000の大台に達します。予想では1月10日頃になると思います。
新しい年も毎日欠かさず記事をアップしますので引き続きおつきあいください。
今年の画像から…
ジュビロ6-1柏レイソル 藤田33が2点目を決める 8/14
塩竃の銘酒「浦霞」の春酣です。被災地の銘酒を4月9日に買い求めました。
毎年時間に追われて苦労する年賀状ですが、今年は700枚の年賀状を今日の夕方までになんとか仕上げました。寒い日が続いて家に閉じこもっている時間が長いこともあって例年よりも早く終わりました。これで間違いなく元旦に配達されるはずです。
今年は喪中欠礼のはがきが遂に60枚を超えました。私の住所録の1割近い数字で驚きました。亡くなった方の年齢が超高齢になっているのにも驚きます。
大震災があった年ということで賀状に「明けましておめでとう」と記すのはためらわれましたのでそれに代わるメッセージを記しました。
写真を多く入れるのでインクジェット写真用(1枚60円)を使いました。写真印刷用紙と同じレベルでプリントできます。
できるだけ多くの情報を入れたいと欲張るのでフォントが小さくなってしまいます。新聞の活字よりも小さいフォントなので読んでいただけないことがあるかもしれません。メッセージは約360字あります。一部の人の賀状にはその人に宛てた短いコメントを加えました。
皆さんからいただく年賀状が楽しみです。
浜松海の星高校はカトリック系の私学女子高校です。2002年に第1回のクリスマス・ファンタジアを開いて今年で10年目になります。毎年趣向を変えながら聖誕劇を上演しています。
全国でも数少ない演劇コースや県内トップクラスの実力を持つ吹奏楽部のほかダンス部・演劇部・合唱部・放送部・聖歌隊などパフォーマンス系の生徒たちが総結集して毎年すばらしいステージを見せてくれます。
10周年の今年は開演前に吹奏楽部のプレコンサートがありました。せり上がったオーケストラ・ピットでの演奏が終わった後、奈落に沈んで本番の演奏を行いました。
オープニングでは過去9回の公演を映像で振り返るシーンがありました。
今年のステージは例年に比べて舞台装置がほとんどない簡素な構成でした。今年が大震災の年であったことを考慮したのかもしれません。
カーテンコールで、ヨゼフ役の生徒(演劇コース)がみごとなスピーチをしました。震災と原発災害の中で、クリスマス・ファンタジーを続けていいものかどうか思い悩んだこと、被災地の人たちをはじめとする世界中のすべての人とクリスマスの喜びを 分かち合えることなどを朗々と伝えました。滑舌もみごとで感動的なスピーチでした。
これまで10年積み重ねてきたクリスマス・ファンタジーは「学校の文化」として定着しています。
12月23日午後5時10分~ アクトシティ大ホール
アトリエやまこの竹炭ロールケーキは黒と白のモノトーンです。最高級の超微粒子の竹炭を使った生地に濃厚な生クリームが巻き込まれています。一見すると真っ黒な生地でざらつく感じがするのですが、口に入れてみるとなめらかでざらつくことは一切ありません。
白いクリームは最小限の砂糖を加えただけでミルキーでさっぱりしています。1050円。
朝日新聞12月20日夕刊4面の「日本宝さがし」は静岡特集でした。この記事の「地元イチオシ」で二番目に紹介されているのがこの「竹炭ロール」です。
これまでは浜松市西区の篠原店での店頭販売と通販だけでしたが、11月9日にオープンした遠鉄百貨店新館に遠鉄店が入って求めやすくなりました。
光の具合でグレーに見えますが真っ黒です
今年も50近くの展覧会を見ました。その中から印象に残っている美術展を日を追って列挙します。
3月 没後120年 ゴッホ展:名古屋市美術館
もう一つ目玉になる作品がなかったような印象です。
5月 アートの島 直島
静岡文化芸大の先生と聴講生22人で訪ねたアートの島。台風接近 で大雨の中、ベネッセハウスに泊まり、現代アートを堪能しました。
6月 空前絶後の 写楽展:東京国立博物館
写楽の全作品がほぼ網羅されたまさに空前絶後の写楽展でした。
6月 ワシントン ナショナル・ギャラリー展:国立新美術館
印象派、ポスト印象派 奇跡のコレクション83点
7月 空前絶後の 歌川国芳展:静岡市美術館
前後期合わせて400点以上。構成力・アイデア・デザインなどとにかく見て楽しい展覧会でした。
8月 青木繁展:ブリヂストン美術館
青木没後100年。天才画家を回顧する適切な展覧会でした。
10月 フェルメールからのラブレター展:京都市美術館
絶大な人気のあるフェルメールが3点。フェルメールの作品はもう1点、7月に《地理学者》 を豊田市美術館で見ました。
12月 ゴヤ展:国立西洋美術館
《着衣のマハ》など123点の充実した展覧会でした。
12月 ジャクソン・ポロック展:愛知県美術館
ピカソを超えた男と言われる20世紀アメリカ最大の画家の充実した回顧展でした。
来年はベルリン国立美術館展(国立西洋美術館6/13-9/17)やボストン美術館 日本美術の至宝展(東京国立博物館4/20- )、マウリッツハイス美術館展(東京都美術館 6/30- )など楽しみな展覧会が次々と予定されていて楽しみです。
契丹は今から1000年ほど前に北アジアの草原に一大王朝 遼(916-1125)を建国した遊牧騎馬民族です。南の中国では唐が滅びて宋(960-1279)の支配の時代です。
この展覧会は契丹全盛時代の美術工芸品などの文化財を展示しています。王族の埋葬に使用された《彩色木棺》や枕、指輪、硯など、騎馬民族特有の鞍、鐙、轡など、さらに白磁、青磁、ガラス器、三彩などの器、仏教信仰を示す仏像や舎利塔などいずれも優れた技術で制作されたみごとな文化財です。
出品作品は127件、そのうち45件は日本の国宝に当たる一級文物、また45件は世界初公開です。
馬具、アクセサリーなどは燦然と輝く金製品が多く、豊かな財力を物語っています。
東西文化交流の地に位置していたことから、西アジアやや宋の影響を色濃く受けており、日本に影響を与えたこともよくわかります。
静岡県立美術館で12月17日にオープンしたこの展覧会を二日目の18日にゆっくりと見ました。
会期は3月4日までです。
福岡から静岡へ。今後大阪、東京と巡回します。
展覧会の概要や主な作品、作品リストは 公式サイトへどうぞ http://kittan.jp/
レオナルドが創造した美の理想に迫るという興味深い展覧会です。《モナ・リザ》に代表される美の世界をレオナルドはどのように創造したのか、レオナルド自身の習作や弟子との共作、レオナルド派と呼ばれる画家たちの作品を通じて解き明かそうとしています。
またこの展覧会を通じて、レオナルドがルネサンス期はもちろんその後も現代に至るまで多くの芸術家たちに多大な影響を与えてきたことがわかります。
出品作品は81点。世界各地から集められており、全体の90%は日本初公開の作品です。公開される機会が少ない個人蔵が14点あります。
レオナルド自身の作品は《衣紋の習作》2点、《老人の頭部》、弟子との共作は
《紡錘の聖母の習作》、《岩窟の聖母》など。
《アイルワースのモナリザ》
1503年?レオナルドによるもう一つの未完の《モナ・リザ》という説もあります。
《裸のモナ・リザ》 レオナルド構想/サライ(レオナルドの弟子)帰属 16世紀
レオナルドの構図に基づいて愛弟子のサライが制作したとされています。
《裸のモナ・リザ》5点はいずれも日本初公開です。
《岩窟の聖母》 レオナルド・ダ・ヴィンチとその弟子
これまで国内ではほとんど見ることのできなかった多くの作品を通じてレオナルドの求めた美の理想に迫ることのできる優れた企画の展覧会でした。
静岡市美術館1周年記念のこの展覧会は今月25日まであと6日です。入場者はすでに3万人を超える盛況です。
1月5日~3月4日 福岡市美術館
3月31日~6月10日 東京・Bunkamuraザ・ミュージアム
5月、7月に続いて3度目のヤマザキマザック美術館です。前の2回は「ロココの雅」の特別展でした。7月は’ブロガーデー’にお招きいただいて学芸員の坂上さんの解説を伺いながら館内をフリーで撮影させていただきました。その様子はこのブログの7月3,4,7日に3回に分けてアップしています。ブログの左側のサイドの「カテゴリー」の下の方の「美術館」をクリックしてアクセスしてください。
今回は静岡文化芸大の社会人聴講生11人で訪れました。久しぶりでお目にかかった坂上さんに約50分かけて各展示室で解説していただきました。現在はコレクション展開催中です。コレクションはロココから印象派、エコール・ド・パリまで200年のフランス美術の流れを一望できる構成になっています。4階のフロアはガレを中心とするアール・ヌーヴォーのガラス作品や家具の展示フロアです。各展示室ともロココなどそれぞれの時代の雰囲気を感じさせるサロン風の構成になっています。
5階でエレベーターを降りるとそこにはボナールの《薔薇色のローブを着た女》の絵があります。コレクションの記念すべき第1号です。
㊧:アングル《ルイ14世の食卓のモリエール》
㊨:モネ《アムステルダムの港》
ガレのガラス器
この美術館では4月からアール・ヌーヴォーに焦点を当てた企画展を開催するとのことです。
「ピカソを越えた男」とも言われる20世紀アメリカ最大の画家の一人であるポロック(1912-1956)の生誕100年記念展です。
ポロックは床の上に置いたキャンバス一面に、ポーリング(塗料を流し込む技法)やドリッピング(滴らし)、スパタリング(撒き散らし)などの技法によって、無数の線や点などで構成するまったく具象の形のない新しい絵画を制作しました。
ポロックはピカソやミロの影響を受けながらもその二人ともまったく異なる新しい抽象表現主義の絵画の動向を決定的にしました。ポロックはピカソについて「くそー、、あいつが全部やっちまった。いったいどうしたらいいんだ」と言ってピカソの画集を投げつけたことがあったということです。しかし、そのピカソを超える画家としての評価を受けることになります。今回は出品されていませんが、《№5 1948》は2006年に165億円で売買され、絵画1点の史上最高額と報じられました。
従来にない抽象表現の作品はアートの世界で評価が大きく分かれました。1949年、
「Life」誌が特集記事「ジャクソン・ポロック-彼はアメリカで最も偉大な現存画家か?」が掲載されましたが、このとき500人中490人がポロックに否定的であったということです。
今回の展覧会には国内で所蔵されているポロック作品の全て28点が出品されているのが大きな特徴です。さらに海外の美術館などが所蔵する36点が加わって全64点。生誕100周年にポロックを回顧するまたとない機会です。
出品作の中にはポロックの絶頂期の最高傑作と言われる《インディアンレッドの地の壁画》(1950年)がテヘラン現代美術館から出品されています。
ポーリング・ドリッピング・スパタリングなどの技法によって制作された傑作です。無意識性や偶然性を重視しながら実は偶然ではなくコントロールされていてみごとなアートになっていることがわかります。キャンバスに描かれた絵画というよりは壁画に近い新しい絵画の世界です。183㎝×244㎝のこの大作は1976年、パーレビ国王時代のイランのコレクションになりました。国外への貸し出しは今回が初めてだということです。
大手オークション会社による評価額は約200億円とか。まさにピカソを超えた評価です。
日本に最初に紹介されたのは1951年の読売アンデパンダン展です。《№7 1950》と《№11 1949》の2作品でいずれも今回出品されています。《№11 1949》はこの年の雑誌「みずゑ」の表紙になっています。
《№7 1950》
ポロックは15歳の頃から飲酒をはじめ、やがてアルコール依存症によって精神科の治療を受けることになります。精神分析や治療は25歳の頃から44歳で亡くなるまで断続的に続きます。20歳前後に描かれた《自画像》や家族を描いた《女》は鬱屈した画家の精神を思わせます。
アルコールに冒され、常に新しい作風を求めて苦悩するポロックは3-5年ごとに表現を大きく変えていることがわかります。評価が低下してきた晩年、飲酒して乗った車の事故で亡くなったのは44歳の時です。全体を通じて生きる喜びよりも苦悩や悲しみを感じたポロック展でした。
愛知県美術館で 1月22日まで。2月10日からは東京国立近代美術館で
ポロックランチ@ウルフギャングパック レストラン
美術館と同じフロアにあるカリフォルニア料理のレストランでは展覧会にちなんで特別メニューのランチが用意されています。
具たくさんビストロサラダ 骨付き鶏モモ肉のグリル バニーバルサミルソース
㊧:抹茶風味 New York チーズケーキ ポロックのポーリングを思わせる抹茶ソース
㊨:庭園の奥が美術館。10階の庭園です
ランチはチケット呈示で2000円→1500円。美味でボリュームたっぷりのランチでした。
町内に「親水公園」があります。正式な名称は「馬込川上島緑地」です。ここには三方原からの豊富な湧水が1年を通して大量に流入しており、カワニナも数多く生息していることからここをホタルの里にしようというプロジェクトが始まりました。
地元の公民館の事業として取り組むことになり、12月11日にゲンジボタルの幼虫の放流が行われました。
放流された幼虫
幼虫150匹は清水町の業者から宅配便で到着。1匹300円です。
コップに3匹づつ分けて配りました。
カワニナ:餌になるカワニナがこの水路にいます
放流の前に浜松市動物園の昆虫館長さんから説明があり、その中で幼虫の生存率は非常に低いというお話がありました。大変心配ですが、来年6月に光るホタルが飛び交うことを期待して楽しみにしています。
「蛍火を 夢見て 幼虫放したり」
40年ぶりに日本で開かれた本格的なゴヤ展です。前回は1971年、同じく国立西洋美術館で開催されました。このときは《裸のマハ》と《着衣のマハ》が2枚並べて展示されるという豪華版で興奮したのをいまだに覚えています。1999年春にはプラド美術館でこの2枚を見ることができました。
今回の目玉はなんと言ってもまず《着衣のマハ》です。
見る人(男)を誘うような眼差し、やや挑発的に見えるポーズなど、《裸のマハ》とほぼ同じですが、《着衣のマハ》の方が簡潔に描かれています。よくよく見ると左右の視線がわずかにずれていたり、布やレースも少し変更されています。
それにしてもほぼ同じ絵を裸と着衣で描き分けたのはなぜでしょうか。展覧会の図録によると、19世紀初めに、《裸のマハ》の所有者であったゴドイが自宅を改造した時に、《裸のマハ》を隠すために急遽制作させたのではないかとしています。2枚のマハは1808年から15年までわいせつな絵画として異端審問におり押収されていたという来歴があります。
今回の展覧会にはプラド美術館所蔵の油彩25点、素描40点、版画6点、書簡1点の72点。国立西洋美術館の所蔵する版画など51点を加えて123点が出品されています。
スペイン美術の巨匠フランシス・デ・ゴヤ(1746-1828)は絶対王政から市民社会に向かう激動の時代を生きた画家です。フランス革命の時に43歳(この年に国王カルロス4世の宮廷画家になります)、その後スペインはナポレオン軍の侵攻を受け動乱の時代を迎えます。スペイン社会の悲惨な現実を描いた《戦争の惨禍》シリーズや、不条理の世界を描いた《妄》シリーズなど数多くのエッチングや素描も出品されているのも今回の展覧会の特色です。
油彩では8点の肖像画と5点の自画像が注目されます。
30代初めから最晩年に至るゴヤの全画業を俯瞰することのできる充実した展覧会でした。プラド美術館はさがだと改めて思いました。
会期は1月29日までです。
展覧会公式HP http://www.goya2011.com/
冬晴れに恵まれた今日(12月5日)、遠州地方(=静岡県西部)の紅葉の名所を訪ねました。先週末の雨と風にたたかれて葉が落ちた木も多く、今年の紅葉もそろそろ見納め…名残の紅葉ハイライトです。
大洞院(森町)午前10:10~10:30
まだ見頃の木もありますが全体としては見頃が過ぎて落ち葉や枯れ葉が目立ちます。
小國神社(森町)午前10:40~11:30
一部は見頃を過ぎていますが、全体としては見頃です。月曜日ですが車の列は駐車場入り口から太田茶店前まで続いていました。
法多山尊永寺(袋井市9午後0:10~0:55
見頃がピークを過ぎつつありますが天気次第で今週中はいいかもしれません。
明日12月6日から8日までは曇りがちという予報。9日からは好天に恵まれそうです。そこまで紅葉が続くといいのですが…。
Jリーグは今日が今季の最終戦でした。10位のジュビロは11位の川崎と対戦、このゲームを最後に退団するジウシーニョの2得点で辛勝しました。
前半43分、ジウシーニョがCKを頭で決めて2点目。喜ぶゴール裏
㊧:先発メンバー。レギュラーの前田・山崎・山田・加賀を欠く苦しい布陣でした
㊨:中央はこのゲームが最後になった柳下監督
㊧:新入団得点記録をねらった金園(17)ですが今日は不発でした
㊨:雨上がりでしたがなんとか1万人を超えました
結局ジュビロは8位で終わりました。年間を通じて上位にからむことはなく、ナビスコ杯、天皇杯も無縁でした。来季に向けて強いジュビロを復活させることのできる監督が待たれます。
ホーム17ゲームのうち今年は10ゲームしか参戦できなかったのが残念です。
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