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1 プレスタット=イギリス王室御用達のチョコ
1902年にフランス人のショコラティシエが創業しました。故ダイアナ妃も愛好した品ということです。店はピカデリー・サーカスにあります。今回は三越で買い求めました。日本には常設店はありません。55㌘・約800円です。右の画像は王室のブランドです。
2 デイリーミルク
左下にロンドン五輪とフェアトレードのマーク。裏には王室のブランド。
スーパーで普通の価格で買えます。
3 ディヴァイン チョコ
リバプールの海洋博物館で購入。裏(右の画像)を見るとドイツ製でした。
4 ブリストルのショートブレッド
クロテッドクリームを練り込んだショートブレッド。ハイブリーの郵便局併設の売店で
購入。㊨の画像:成分表示は英仏独の3カ国語です。
5 ショパンコンクール記念のウエハース=ワルシャワ
先日終わったばかりのショパンコンクールで優勝した女性が弾いたピアノはヤマハ製でした。「ヤマハ」は初優勝です。
6 松江の銘菓
山陰の古都松江には金沢に似た歴史と伝統があります。松平不昧公お好みの「山川」をはじめとする銘菓の伝統もあります。
7 静岡名物「8の字」
1~4は家族がイギリスで買い求めました
5はショパンコンクールに招かれた浜松市の関係者からのお土産
6は私の同級生からのプレゼント
7,8は静岡からのお客様のお土産
三好十郎の名作に無名塾が挑んだ舞台です。私の中で「炎の人」と言えばこれまで滝沢修のゴッホでした。そしてナレーションは宇野重吉。劇団民芸の二人の重鎮の舞台がまだ印象に残っています。
生涯を通じて売れた絵は1枚だけだったというゴッホを支えた弟のテオ、友情で結ばれ共同生活をしたもののやがて破綻したゴーギャンとの関係、激情のままに行動するゴッホ、精神錯乱に陥るゴッホ…38歳で亡くなったゴッホを演じたのは77歳の仲代達矢です。
3時間に及ぶ舞台を出ずっぱりで演じた仲代のエネルギーに脱帽です。ゴッホの人間像をみごとに演じていました。滝沢修のゴッホに勝るとも劣らない「炎の人」を観ました。仲代の年齢を考えるとこれが最初で最後かもしれません。
無名塾の若手俳優も懸命に演じていました。三好十郎のリアリズム演劇はやや重い感じで、観客の大半を占める高齢の女性にとってはややわかりにくい舞台だったのではないでしょうか。
浜松演劇鑑賞会第392回例会 浜松アクトシティ大ホール
パリ・モンマルトルに生まれ、生涯にわたってパリの町並みを詩情豊かに描いたユトリロの作品92点が出展されています。いずれも個人コレクターの所蔵品です。これまでどこかの展覧会で見たように思う作品もありますが、すべて日本初公開です。大作はありません。
母親と継父の派手な生活のために自宅に閉じこめられて大量の絵を描かせれらたユトリロの全作品の中で今回の92点がどのような位置付けにあるのか不明です。
20代前半の作品が3点あります。モンマーニの風景を描いた作品です。絵の具を分厚く塗ったこれらの絵は明らかにのちのユトリロの絵とは傾向が異なります。
30代に入ってからの「白の時代」。白を基調として明確な線で構築したパリの街角や教会の風景はわれわれにおなじみです。
30代半ばからの「色彩の時代」の作品がもっとも多く出展されています。「貨幣製造機ユトリロ」と呼ばれて作品を量産した時代です。10代半ばからアルコール依存症で何度も入退院を繰り返したユトリロは、水で薄めたワインを与えられながら制作を続けます。幽閉状況での風景画の制作は…絵はがきを見ながら描いたのでした。
彼は1955年に72歳で亡くなっていますが最後の3枚はこの年の作品です。
彼の絵から受ける詩情豊かで落ち着いた印象とは異なり、彼の生涯は波乱に満ちてい
ます。1枚1枚の絵の裏に、外出できないユトリロが題材として使った絵はがきや、室内に閉じこもり母や義父から迫られて次から次へと制作を続ける彼の姿が浮かんできて複雑な思いがしました。
葦毛(いもう)湿原展
会場の豊橋美術博物館では同時に「葦毛湿原」展が開かれています。愛知県指定天然記念物で貴重な自然の残る里山の歴史と自然が紹介されています。
シラタマホシクサ、ヒメミミカキグサ、ミカワバイケイソウなどの東海地方固有の植物なども紹介されており一見の価値があります。入場無料です。
1ヶ月以上のごぶさたで御心配をおかけしました。実は…10月5日から12日までの8日間、食欲がなくなって少しスマートになりました。
その原因は…家族が二人イギリスへ出かけてしまって私とレーチェが留守番をすることになったからです。毎日食べていたキャットフードをほとんど食べなくなりました。なんとか食べたのは大好物のマグロのお刺身と花鰹です。トイレへ行く回数も少なくなりました。かなりストレスが溜まった様子でした。
家族が帰ってきてから食べ始めました。徐々に食欲旺盛になり…2週間過ぎて以前よりも丸くなった感じです。家族の動きを気にしていて、玄関を出ようとすると急いで玄関まで出てきたりします。
近くへお買い物などという時はあまり気にならないようです。服装と持ち物でわかるらしいのです。大きいスーツケースなどが置いてあると気にするレーチェです。
東海大会2戦。磐田東は1回の裏に3塁打にエラーがからんで打者が生還。先取点をあげました。その後は名電の濱田の好投にあって自慢の打線が沈黙。6回と7回に2点ずつ失って逆転されました。
8回の裏、3連打で1点返しましたが反撃もそこまで。健闘及ばず2回戦で敗退し、初の甲子園出場は夢に終わりました。
来年の夏を目指してさらに力をつけ磐周地区からの初の甲子園出場を果たして欲しいものです。
高校野球東海大会1回戦で打線が爆発、投手もよく投げて完勝しました。伊勢市市営球場。
鞆町は福山市の最南部です。鞆港を中心とする入り江を鞆の浦と呼びますが、鞆の浦には沿岸部を含めることもあります。
鞆の浦は潮待ちの港として古くから栄えてきました。町内には歴史的な建造物も多く、古い町並みをよく残しています。瀬戸内海を望む景観もすばらしく、瀬戸内海国立公園の一部になっています。
歴史を残す町並みは道路が非常に狭く、大型車の通行できない道路や乗用車でもすれ違いが難しい道路がいたるところにあります。
このような状況を改善するために県と市は入り江の一部の埋め立てと港を東西に横断する架橋を計画しました。
この計画が実現すると歴史的な景観が大きく損なわれるとして反対運動が展開されています。
県知事の交代や民主政権への交代、地裁での埋め立て免許差し止め判決などもあり、現時点では「開発」は凍結されているようです。
地元の住民は生活権を守るということで開発賛成派が多いとのこと
歴史を感じさせる町並み
NHK朝の連続ドラマ「てっぱん」の舞台になった尾道はブームに沸いていました。秋晴れの日曜日…市内はどこも人の群れ。港の広場ではイベントも行われていました。
瀬戸田から海路尾道へ
島々の間を縫って走ります。典型的な瀬戸内の風景
㊧:瀬戸田から尾道への定期船。所要時間40分
㊨:因島と向島を結ぶ因島大橋
尾道で
ロープウェイで千光寺公園へ 千光寺公園から見た尾道水道。対岸は向島
尾道は数多くの映画の舞台になった町です。館内の雰囲気を撮影するのは可。
㊧:おのみち歴史博物館。大正時代の旧六十六銀行の社屋
㊥:戦災を受けなかった尾道にはこのような建物が多く残っています
㊨:本通り商店街のアーケード
㊧:港の広場でのイベント。「てっぱん焼き」のお店がいろいろ
㊨:向こうに見えている港に向かう渡し船。所要時間は5分もかからず車で遠回りして行く
よりも早くて便利
二次リーグの初戦 磐田東3-0清水東 第2戦 磐田東5-0静岡西
2試合とも完勝で勝ち点6、得失点差8で1試合残して二次リーグを通過しました。
旅行中で応援に行けませんでしたが、メールでうれしい報告をいただきました。
これでベスト8に進出。決勝トーナメントは30日からです。初の選手権出場が期待されます。
船が瀬戸田港に近づくと潮音山公園の頂にある三重の塔の頭部が見えてきます。北町の路地裏を通り抜けて石段を登ると向上寺の本堂があり、その近くに三重の塔がそびえています。
唐と和の様式が調和した朱塗りの塔で、1432年の建立です。用材の大部分は創建当時のもので昭和33年に国宝に指定されました。
本堂横の狭いエリアに樹木に囲まれた形で塔は建っています。朱色が鮮やかなみごとな三重の塔です。高いところから見下ろすと青い海に朱色が映えていました。
平山郁夫がスケッチしたポイント。手前はその時の作品の紹介です
秋晴れの尾道です。画像は尾道水道と千光寺山です
瀬戸田にある向上寺 朝の風景です
大学の同窓会で瀬戸内海の生口島に来ています。船で渡った瀬戸内海は波静かでした
言わずとしれたシェークスピアの名作です。今回の「マクベス」は’誰も見たことのない「マクベス」’です。
出演する役者は狂言の役者とオペラ歌手です。音楽はパイプオルガンと和太鼓です。マクベス、マクダフ、ダンカンなどの登場人物はいずれも侍で名前も武士としての名前で呼ばれています。したがって、このお芝居には’マクベス’も’マクダフ’も登場しません。
ストーリーはほぼ「マクベス」をなぞっています。野望の流れに手を染めて自分が仕えていた主君や仲間を次々と殺していく’マクベス’。’マクベス’をそそのかした夫人は心の呵責に耐えかねて自害します。’マクベス’も最後は仇をとられて命を落とすことになります。
’マクベス’をはじめ狂言役者はすごい声量でみごとな滑舌。1000人以上を収容する愛知芸術文化センターのコンサートホールに響きわたります。夫人を演じた土田聡子はソプラノ歌手です。’魔女’は3人のバリトン歌手です。
東西文化の融合を目指すシェイクスピアシリーズは今回で終わりです。迫力のある和太鼓とパイプオルガンの組み合わせに違和感はありませんでした。
’マクベス’の佐藤融は’バンクォー’の佐藤友彦の息子で、親子の共演です。
翻案・演出の関根勝は早稲田大学の教授。観世流シテ方の生まれ。在英25年。東西文化の融合を目指すプロジェクトを立ち上げてこれまでに「ハムレット」「リア王」「オセロ」など5作品を上演しています。
今回の公演はあいちトリエンナーレ2010の祝祭ウィーク共催事業として行われたものです。今日14日は京都、26-28は東京公演です。東京では能楽堂での公演ということで、パイプオルガンがなく和太鼓だけの演奏になります。
会場の愛知県芸術劇場コンサートホールは開場前から長蛇の列で大にぎわいでした。
カーテンコールが数分間続きました。
9年ぶりの決勝進出です。準決勝のホーム戦は0-1の敗戦。今日のアウエイ戦で2-1,2-0以上で勝たないと決勝に進めないという背水の陣のゲームでした。しかも、前田と駒野は日本代表で今日は韓国に遠征中。GK川口も故障で欠場。
現地応援はできなかったのですが、スカパー中継を見ている家族から刻々と情報が入りました。ジュビロの公式サイトの情報もチェックしながら応援しました。
山崎の勝ち越しゴールで思わず万歳。終盤に成岡のダイビングヘッドで勝利は決定的に。
本当に久々の大舞台登場です。11月3日の国立には数多くのサックスブルーのサポーターが駆けつけるでしょう。
13日には天皇杯のゲームもあります。元旦の国立を目指してほしいものです。
文化芸大恒例の薪能は今回で10回目になります。創立2年目から行われている伝統行事です。学生が企画し、運営しているのが大きな特徴です。
記念すべき今年の薪能のプログラムは次のとおりです。
狂言 蝸牛
仕舞 雲林院
実盛
(休憩)
(火入れ)
能 望月
休憩の後の火入れは大学の文化・芸術研究センター長である作曲家の三枝成彰さんと学生代表によって行われました。時間は7時過ぎ。秋の日はすっかり暮れて赤々と燃える炎が鮮やかに舞台を照らしていました。
「望月」は夫(父)を殺された母子が昔の家来と共に一計を案じて仇を討つというストーリーで、劇的な展開を楽しむことができます。物語のおもしろさだけでなく、母親が曾我兄弟の仇討ちの話を謡い、子どもが鞨鼓(かっこ)を打ち、家来が最後に獅子を舞うという三つの芸をたっぷり楽しむことができます。
宿の主人を務めるシテは文化芸大の梅若猶彦教授です。梅若先生は能楽師であり多くの能楽で自ら演じる傍ら、劇作家や演出家としても活躍されています。大学では演劇史や芸術表現などを担当されています。著書に岩波新書の「能楽への招待」などがあります。大学にこのような先生がいらっしゃるというのは学生にとって幸せなことです。
母の役ツレは生一(きいち)知哉、子どもを演ずる子方は知哉の子の生一庸です。現在大阪の小学校6年生。りっぱな演技でした。能の役者はこのようにして子方を務めながら成長していくのですね。
母子と敵役が同じ舞台の上にいて観客にはすべて見えていても、役者達には相手のことが見えていないという能独特の約束事がよくわかります。
最後は酒を飲み過ぎて油断した仇の望月を討ちめでたく本望を遂げることになります。
この日の舞台は大学2階の芝生広場に設営されました。涼しい夜風が頬を打ちます。空にはお星さまとその間を往来する国内航空便のライトが見えています。
大学の近くに総合病院があるため、救急車のサイレンが何度か響き渡りました。野外ですから仕方ありません。観客は約400人。
企画から舞台の設営、当日の運営などすべてを学生が担当しました。全員が入学後半年の1年生ということで感心しました。
薪能は今や文化芸大の貴重な財産と言っていいと思います。
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㊧:当日昼休みの会場を客席の後ろから見たところ。中央奥がステージ
㊨:当日のプログラム表紙(右)
休耕田に広がる3種のお花畑。色鮮やかです。さわやかな秋の風が吹き渡るすてきな空間でした。
このお花畑は袋井市岡崎周辺。旧浅羽町で袋井市役所浅羽支所の東です。
㊧:南から見たところ。右(東)にコスモス、西(左)にキバナコスモス、上(北)にヒマワリ
㊥:東から見たところ。右は枝豆の畑
㊨:あぜ道が広いので駐車可能です
いろいろな植物が混在しています。フラワーパークなどとは違う楽しさです。
地図などの情報はこちらから http://www.asaba.or.jp/machiokosi/cosmos/index.html
まずはじめに展覧会のチラシをご覧ください。
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左が表です。その右端に「ピカソ、シャガールからビュッフェ、カシニョールまで」とあります。…から …まで というのはどういう意味でしょうか。ピカソ1881-1973 シャガール
1887-1985 ビュッフェ1928-1999 カシニョール1935- 。この展覧会で取り上げた画家の活躍した時代を4人の代表的な画家の生年ではじめと終わりで時代区分したものです。
19世紀後半から20世紀前半に生まれ主としてフランスで活躍した画家たちの作品です。
ピカソの絵の下に「山形美術館服部コレクション」とあります。この美術館は山形新聞、山形放送の元社長がつくった私立で財団法人組織の美術館です。
服部氏は元理事長・館長でその功績を記念するコレクションです。フランスの20世紀の画家50人を選び各1点とそのほかにピカソなどの絵を収集しました。
58人60点の出品。ピカソとシャガールだけが2点ずつです。チラシの表の絵はピカソの
《剣を持つ男》です。
主な出品作品はチラシの裏面にあります。
上㊧:シャガール《花束を持つ少女》
上㊥:キスリング《ジョゼット》
上㊨:ビュッフェ《馬の頭がい骨》
下㊧:ルオー《告発されたピエロ》
下㊥:ブリアンション《静物》
下㊨:カシニョール《公園風景》
1階展示室は前半が20世紀後半のフランス風景画です。中に荻須高徳の《マレー地区》があります。
後半は静物です。ビュッフェの作品はここにあります。
ルオー、ヴラマンク、ローランサン、ユトリロ、ピカソ、シャガール、キスリングなどの作品は2階の後半部分でようやく登場します。
58人の画家の作品で20世紀フランスの絵画を俯瞰することができる展覧会です。
山形美術館のコレクションに感心しました。
会期は11日までです。
リーグ戦は24試合を消化して残りはこの試合を含めて10になりました。ジュビロはここまで勝ち点33で11位、今日勝てば10位に浮上します。横浜は38で7位です。
ゲームの入り方は比較的良かったジュビロです。前半12分…船谷のFKがピンポイントで古賀へ。頭でゴール!と喜んだのですが古賀のファウルでゴールなし。
前半43分、古賀がこの日2枚目のイエローカードで退場に。
以後50分を10人で戦うことになりました。10人のジュビロは後半横浜の攻撃を懸命に防ぎながら時折攻め上がります。GK能活のファイセーブなどもあって0-0で迎えたロスタイム3分、右からのクロスに菅沼が頭で合わせて劇的なゴール!と歓声があがりましたが、オフサイドの判定。微妙なタイミングでした。
10人で耐えて勝ち点1を得ましたが、チャンスもあったので勝ち点3を逃したと言ってもいいゲームでした。
前田はCKに頭で合わせましたが枠をはずして得点0に終わりました。
【画像をクリックすると大きくなります】
前半12分 50古賀のヘディングでゴールと喜びましたが…ファウルでした
㊧:前半26分 船谷からのボールに23康裕が頭で反応しましたが惜しくも枠の外に
㊨:前半41分 船谷がGkと競うがボールはGKに
後半ロスタイム3分。右からのクロスに菅沼が頭で合わせてボールはゴールの中に
㊧:15菅沼 8ジウシーニョ 那須 前田
㊨:西 4大井 5駒野 10成岡
勝ちきれなかった悔しさが選手の表情に表れています
森町三倉の旧家のJ氏は広大な山林を所有されています。その一部に植林されていない雑木林があります。20ヘクタールの広い雑木林をJ氏に案内していただきました。
よく晴れた日で木々の間を心地よい風が吹き抜けていました。
雑木林にはコナラ・コシアブラ・タカノツメ・エンコウカエデ・クロモジ・ヤブムラサキ・ホウバ・シデ・ヤマザクラ・ウリハカエデ・シキミ・カタヤカエデなど多種多様な木があります。スギやヒノキ、モミなどもありますがこれらの木は種から自然に生えて成長したものです。
㊧:J氏のお宅から見た雑木林は谷の向こうの山にあります
㊨:同じ場所から見た4月の山。山桜が咲いてまさに桃源郷です
大河内の雑木林で
三倉から春埜(の)山へ
秋の一日を大自然の中で過ごした快適な時間でした。
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