日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »
浜松市南部を東西に走る国道1号線バイパスの近くにヒマワリの畑があります。「ひまわり2525プロジェクト」のメンバーが4年前から取り組んで育てています。”ヒマワリによって人も街もニコニコ明るくしよう”という理念に基づく活動です。
今年のヒマワリは背が高くて2㍍はあります。下から見上げながらレンズを向ける感じです。まだ満開ではありません。残念ながら昨29日の悪天候の影響を受けて倒れてしまったのもありました。
来年は浜松市が市制100周年を迎えるのを記念して市内に100万本のヒマワリを咲かせる運動を始めています。
場所は国1バイパス米津交差点を北に入ってすぐ左手になります。交差点の右手は浜松グランドボウルのボウリング場です。土日は臨時駐車場が用意されていますが、かなり混雑するでしょう。
JR東静岡駅の北側に高さ18㍍のガンダムが立っています。ホビーショーがオープンした24日と25日の二日間で6万人の人が訪れて大混雑ということでした。
ガンダムゾーンは入場無料。ガンダムにタッチし、股の下を通るエリアは2分間隔で人数を制限して入場させています。土日はかなりの待ち時間になりそうです。
迫力があります。晴れていれば背景に富士山がかなり大きく見えるのですが…
30分ごとに作動時間があります。
㊧:顔は左を向き、右胸から霧を吹いています
㊥:顔は中央。目が光り、両胸から霧
㊨:顔は右を向き、右胸から霧
㊧:十数人が入場してガンダムにタッチしたり、写真を撮ったりしています。手前は入場待ちの人
㊨オフィシャルショップ。水曜日4時の時点で30分待ちの列
静岡ホビーフェアの公式サイト http://www.shizuoka-hobbyfair.jp/
カラヴァッジョは16世紀イタリアを代表する画家です。ルネサンスに続くバロック絵画の先駆者で、レンブラント、ルーベンスなど多くの画家に大きな影響を与えました。
1571年にミラノの近郊に生まれ、1610年7月18日に38歳で没しています。ちょうど没後400年にあたり、ローマでは没後400周年記念展が行われ(2/18-6/13)大盛況だったと伝えられています。
彼は短い生涯に約100点を制作し、現存作品は約50点。今回の記念展ではそのうちの約半数の23点(イタリア国内15/国外8)が展示されました。
1月16日から東京都美術館で行われたボルゲーゼ美術館展では《洗礼者ヨハネ》が展示されており、大変な人気でした。記念すべき年に日本で1点でも展示されるのは大いに意味のあることでした。
さて…映画です。「光と影」はカラヴァッジョの描いた作品の大きな特徴であり、彼はどの作品でも光と影のコントラストをみごとに表現しています。それは後のレンブラントなどにつながるものです。そして、「光と影」は絵画だけでなく、彼の人生そのものをも象徴しています。
類稀な表現力によって人々を感嘆させる傑作を制作していく彼は、窮乏の生活の中でデル・モンテ枢機卿に救いの手をさしのべられ、聖堂の絵画を制作するなど、栄光の階段を上り詰めて行きます。
しかし、気性の激しいカラヴァッジョはことあるごとに周囲の人と衝突し、傷害事件を繰り返すなど、私生活は破綻していきます。
彼が幼い頃から恋いこがれ、画家として歩み始めた彼を最後まで支援してくれたコロンナ公爵夫人の言葉が映画の最後の画面に出てきます。「あなたはあなたの絵と同じ。光の部分は限りなく美しく、影の部分は罪深い。」この言葉が全てを象徴しているように思えます。
カラヴァッジョが制作にあたっていかに光を重視したかを物語るシーンが何度も登場します。
カラヴァッジョがもう一つ重視したのがモデルを使って「人間」を描くことに徹したことです。聖人や聖母でも人間であるとして、娼婦をモデルにして聖母を描くなど当時の教会や画壇に受け入れられない手法にこだわります。
女性が公衆の面前で首を切り落とされるシーンや、哲学者ジョルダーノ・ブルーノが異端審判の結果火あぶりの刑に処せられて焼けこげていく残酷なシーンをカラヴァッジョは目をそらすことなく見つめています。人間をあるがままに描くのが彼の絵画です。
監督はアンジェロ・ロンゴーニ。2007年イタリア。3時間のテレビドラマとして制作され、劇場用に編集されています。133分です。完全版DVDは11月3日発売予定。3時間・4935円です。
特筆すべきは撮影監督ヴィットリオ・ストラードのカメラワークです。まさにカラヴァッジョの絵画を思わせるような光と影の描写が際だっています。室内や夜景などは特に美しい画面です。
ルイス・バカロフの音楽も画面をよく引き立てています。
カラヴァッジョの絵の好きな方には見逃せない映画です。彼の破滅型の人生に共感できない部分があるのも事実ですが、彼の絵がどのような生活の中で、どのような手法で描かれたのかを理解することができるのではないでしょうか。
映画 公式サイトhttp://caravaggio.eiga.com/
カラヴァッジョの作品から
今日7月26日は土用の丑の日です。土用は各季節の終わりの18日間のことで、その18日間に丑の日が1,2回あります。昨年は7月に土用の丑の日が2回ありました。
土用の丑の日恒例のウナギを食しました。もちろん浜名湖産です。今朝開いたばかりの新鮮なウナギです。
全国のウナギの蒲焼き支出金額(1世帯当たり)を都市別で比較すると浜松市は7,654円でダントツで1位です。ちなみに2位は京都(4,981円)3位静岡(4,530円)ですから、浜松市民がいかにウナギを好んで食べているよくわかります。(総務省平成21年度家計調査)。
日中の最高気温は32.3℃。エアコンをオフにした部屋は窓を開けても35℃近く。これで湿度が高いと屋内にいても熱中症になるおそれがあります。
レーチェは暑い室内を避けて風通しのいい廊下の板の上に長々と寝そべっています。ここが一番過ごしやすいようです。
開会式は24日(土)午後2時15分から、磐田市民文化会館で。参加32校。
2回目の出場となる地元磐田東高校の初戦は25日(日)11時15分キックオフ。ゆめりあグランドです。
大会の日程や会場は磐田市の公式サイト http://www.city.iwata.shizuoka.jp/ にあります。
船明(ふなぎら)ダムは天竜川の最下流にあるダムです。河口から30㎞。堰堤の長さ221㍍、高さ24.5㍍の多目的ダムです。
船明バス停で下車 ダムサイトへ 湖底に沈んだ集落の歴史を学ぶ
発電所のある日明(ひやり)集落は 1972年に17戸85名の全員がが離村を決議してダム湖の湖底に沈むことになりました。700年余の歴史は終わりました。
江戸時代には年貢として納められる材木が上流から天竜川を流されてきました。ダムの両岸の集落にはその材木(榑木)を拾い集めて筏に組み直す「御綱場」がありました。
㊧:左岸の榑山集落。榑木を拾い集めていたことが地名に残っています
㊨:ダムに沈んだ日明集落対岸(左岸)の船明も「御綱場」にかかわっていました
市天然記念物の「二本杉」。この地域がダム建設で埋め立てられるとき、辛うじて残されました。(㊨の画像)根元の5㍍は埋められています。
バスで天竜市街を通過した時、路上のデジタル温度計は33℃の表示。午前10時前のことです。その後気温はさらに上昇し、帰りには35℃を示していました。国内有数の高温を記録することで有名な天竜の船明地区を歩くハイキングでした。
毎月恒例のわくわくハイキング…今月は15日の予定が梅雨空の影響で1週間延期され、猛暑日のハイキングになりました。参加者は少な目で19人でした。
船明のスイレン
1968年に閉校になった船明小学校跡地の池のほぼ全面にスイレンが咲いていました。熱帯スイレンではなく、在来種のスイレン(ヒツジグサ)です。やや楕円形の葉の一方は切れ込み、花は白です。
国鉄佐久間線跡
小学校跡地の近くに旧国鉄佐久間線のトンネルが残っています。
国鉄佐久間線は二俣線二俣駅から飯田線中部天竜駅を結ぶ35㎞の路線として計画されました。1967年に工事が始まりましたが、1980年にほぼ50%まで進んだところで中止になり、廃線の跡が残っています。
船明トンネルもその一つです。918㍍のトンネルは1969年10月から1971年5月までの1年7ヶ月で完成しています。現在は気象庁が管理しています。
船明には駅ができる予定でした。
2008年4月27日に始めたこのブログは今日で754日目になります。その間で休んだのは3,4日だと思います。花を中心として画像の多いこのブログはアップした画像が昨日でちょうど1万枚になりました。1日平均13.3枚です。1ヶ月で400枚、1年で約5000枚近く。ずいぶんアップしたものです。
200枚撮って20枚しかアップしないこともあるので、2台のデジカメで撮った画像はこの期間で約5万枚ぐらいになるのではないかと思います。
なかなかいい写真は撮れないのですが、できるだけ映像の記録を残しておきたいと考えています。
1枚目の画像はピンボケ 2008/4/27 1万枚目の画像 2010/7/20
いずれも浜名湖ガーデンパークで撮影した画像です。
花の美術館 花の庭
バラが終わって少し寂しいのですが、代わって夏の花が賑やかに咲いています
運河で
カイツブリ 橋の下を通過する遊覧船から 展望塔を望む
浜名湖ガーデンパークの公式サイトに私が昨夜投稿した画像がアップされています。http://www.hamanako-gardenpark.jp/
「みんなの写真大募集」をクリックしてください。ニックネームは’ポラ’です。
5月、6月もあります。
磐田東は1回から3回まで毎回1点ずつ。しかし、いずれもランナーを残して追加点をあげることができなかったのが最後になって響きました。4回以降もランナーは出すものの無得点。相手投手が立ち直りました。
磐田東の投手陣は3人が無難につなぎ0に抑えて終盤に。ところが、4番手が8回に1点。そして5番手のエースが9回の裏二死から適時打を浴びてついに同点。続くピンチはなんとか逃れて延長戦に。
磐田東は延長に入っても得点できないまま15回の表を終わり、引き分け再試合か負けのいずれかという事態に。
その裏二死満塁から押し出しの四球で万事休す。3時間半の熱戦は終わりました。
相手投手は15回を一人で投げ抜き、4回からは完封でみごとでした。
磐田東は5人の投手をめまぐるしく交代させました。いつもの二番手が4人目、エースが最後の5人目に登板するというまったく逆のパターンで自ら苦しくしてしまった感じの残念な敗戦でした。
9回裏二死で同点に追いついた時点から富士東の方が元気があり、気力が上回っていました。富士東にとっては野球部の歴史に残る劇的な展開のゲームだったでしょう。
磐田東3年生の夏は2試合で終わってしまいました。
15回裏二死満塁。カウント 2-3からボールはベース上でワンバウンド。三塁走者が生還してサヨナラ
工事中の第二東名を走りました。と言ってももちろんマイカーではありません。自治会長の視察研修のバスで約10㎞走りました。一部を除いてまだ舗装してありません。制限時速30㎞です。
神奈川県境の御殿場から愛知県境の浜松市まで、県内の路線は平成24年度内に供用開始の予定で工事を進めているとのことです。ジャンクションやサービスエリアの工事もまだまだこれからという感じで、あと2年で完成するとは思えない状況でした。
浜松市消防防災隊のヘリポートに隣接して第二東名のPR用のプレゼンテーションルームがあります。そこの測道から本線へ入ります。
吊り橋から見たフルーツパーク 「市よ!地権者をだますな!!」という立て看板
工事中の三遠南信道路が見えます。 この先が工事中の引佐ジャンクション
第二東名は片道三車線で計画されましたが、当面は二車線で供用。カーブが多く勾配がきつい現在の東名と違って、カーブは半径3000㍍(東名は300㍍)、勾配は上限3°(東名は5°)だそうです。
東海地震や台風により通行ができなくなる東名の迂回路として重要な働きをすることになります。
FIFA2010ワールドカップはスペインの初優勝で終わりました。世界ランク2位のスペインですがこれまで優勝したことがなかったのですね。
この1ヶ月眠い目をこすりながら毎晩のように見続けたテレビ中継もこれで見納めです。参院選の開票速報で大勢が決するのを見届けてから仮眠。3時過ぎに起きてスペインが純金の優勝トロフィーを手にするまで見ました。前半が終わったところで夜が明けてきました。
スペインのパスサッカーが次第にオランダを追いつめたことは、オランダに9枚のイエローカードが出たことでもわかります。
スペインの優勝が決まった時、バルセロナの町中ではいつになく多くの国旗が見られたという報道がありました。カタルーニャ地方の中心都市バルセロナでは通常はスペイン国旗ではなくカタルーニャ旗を掲げます。今朝も優勝の決まった後、バルセロナ所属のシャビとプシェルの2人は国旗ではなく、カタルーニャ旗を掲げていました。
首都マドリードではバルセロナ所属の選手が中心のスペインの優勝を喜ばない人もいるとか・・。
試合前の国歌演奏の際、各国選手は歌ったり、歌詞を口ずさんだりしています。ところが・・スペインの選手は歌いません。国歌に歌詞がないからです。口が動いているのはハミングです。国歌は「国王行進曲」です。かつては歌詞があったのですが、歴史の流れの中で歌詞は廃止され、新しい歌詞を作る動きはバルセロナ、マドリード、バスクなどの地方の対立によって実現していません。
前回優勝のイタリアは「サッカーで優勝することによってしか一つになれない」と言われています。1861年イタリア王国の成立で”統一”ができたかに見えるイタリアですが、それから150年過ぎた今でも「イタリア人」としての意識は弱いとされています。予選リーグ最下位で敗退したイタリアは4年ぶりで「一つのイタリア」になる機会を失いました。
スペインは念願の初優勝をしました。しかし・・「一つのスペイン」が実現する見込みは当分なさそうです。
それぞれの国の歴史の持つ重みは現実を容易に変えることを許しません。
エコパ(小笠山総合運動公園)にはスタジアムやアリーナのほかにビオト-プや広大なふれあいの森があります。
【画像をクリックすると大きくなります】
㊧:メインスタジアム 5万人収容。2001年完成。2002年FIFAワールドカップ3試合の会場。私はガーナvsドイツとブラジルvsイングランドの2試合を見ました。2003年New!わかふじ国体会場。Jリーグの静岡ダービー ジュビロvsエスパルスの会場にもなります。今年は8月22日にあります。
㊨:周辺の芝生はみごとに整備されています。
ビオトープから見たスタジアム。熱狂するスタジアムからちょっと離れると静寂な空間です
まだまだいろいろな花が咲き、昆虫や蛙、蛇など様々な生物が見られます。
平野昭先生による「音楽探訪」-ショパン生誕の軌跡-最終回はバラードとスケルツォでした。今日のゲスト・ピアニストは居福健太郎さん。
平野先生の解説が進む途中で促されて登場した居福さんに対して平野先生が次々と質問を重ねます。私はお二人のトークを聴きながら平野先生が講師を兼任されている東京芸大の授業を想像しました。トークの中で先生が居福さんに何度か演奏を指示する場面がありました。居福さんとしては大変だったでしょうが聴いているわれわれとしては理解が深まって助かりました。
ショパンの作品の中で好きな曲は・・という問いに居福さんは答えました。
1 バラード 第4番 2 ピアノソナタ 第2番 3 エチュード
居福さんのお話:ショパンの曲はピアノ以外の楽器で演奏するのは難しい。まさにピアノのための曲。ピアノを愛し、自らピアノを弾いたショパンならではの曲。
平野先生のお話:ショパンの曲の魅力は’音色’、ピアノの音色にある。ベートーヴェンの魅力は構築力。
アンコールはノクターンと子犬のワルツでした。
浜松市アクトシティ音楽院のコミュニティコース シリーズ「音楽探訪」 今年の主題は「ショパン生誕の軌跡 ~生誕200年のショパンを訪ねて~」です。
第4回のゲストは日本を代表するピアニストである仲道郁代さんです。いつものように平野昭先生(静岡文化芸大教授)のお話で始まりました。この夜のサブテーマは「ショパンのミステリー」です。
ピアノソナタは18世紀にはサロン風の音楽であったのが、ベートーヴェンによってサロンから出てステージに上がったことなどの話の途中で仲道さんが登場し、その後はお二人のトークによってでショパンについての謎解きが楽しく進められました。
ショパンがワルシャワ時代には本格的なピアノの指導を受けていなかったこと、1830年代までのピアノ・エチュードの作曲家の作品の影響を受けていると考えられることなどいろいろなお話がありました。トークの途中で仲道さんは何度もピアノに向かい、ショパンの曲と彼が影響を受けたとされる作曲家の曲をつないで演奏するとほとんど区別がつかないほど類似していることなどを演奏で示してくれました。
ショパンの曲を演奏するにあたって楽譜に書き込まれた指示事項をどのように解釈するのか難しいというお話もありました。
ミニコンサートのプログラムは次の3曲でした。小ホールで仲道育代さんのすばらしい演奏を間近で聴くことができて幸せでした。
日本代表のベスト8入りの夢は、結果的に駒野がPKを失敗したことによって夢に終わりました。
オシムはこのことについて次のように言っています。「PKを失敗した駒野を責めないでほしい。駒野も自分を責めないように。PK戦はサッカーではない」(朝日7/1朝刊)。
パラグアイとの試合の結果は0-0の引き分けです。日本は試合には負けていません。次の準々決勝に進むチームを決める手段としてのPK戦で負けたのです。120分戦って1点もとれなかった攻撃力の弱さがベスト8に進めなかった大きな要因です。
「失敗した駒野はPKが日本代表の中で抜群にうまく、当然の人選。結果は仕方がない」。JI湘南の反町監督の言葉です(静岡7/1朝刊)。
駒野はPK戦で敗れた責任を一身に感じてグランドで号泣し、その夜は一睡もできなかったとか。激しく落ちこんだ駒野が立ち直れるのか心配になりました。
駒野は昨日の帰国後の会見で、「あの瞬間は’やってしまった’と・・。帰国するのが怖いとちょっと思った」と話しています。しかし、試合後同学年の松井、阿部らから慰められるなど多くのメンバーからの励ましの言葉を受けて、前を向いて帰ってくることができたと語っています。
昨日は笑顔も見られたということで、17日に再開されるJリーグで良いプレーを見せたいという前向きの言葉もありました。今度PKを蹴る機会があれば必ず決めるとも言っています。
ジェラード、ベッカム、中田などと同じようにPKを失敗した「名選手」として駒野の名前が語り継がれることになるかもしれません。
駒野は今回のW杯で4試合にフル出場し、確実な守備で貢献するとともに時折攻撃に参加して正確なクロスをあげ、時にはシュートを放つなど大いに活躍しました。これから大きく成長してジュビロの中心選手として頑張り、日本代表としても活躍することを期待しています。
ホームでの最初のゲームは24日の鹿島戦です。ジュビロサポーターは熱い声援で駒野を温かく迎えるでしょう。
7月1日は浜松市の市制記念日です。今年は99周年・・人間で言えば白寿です。来年は100周年になります。
記念式は午前10時から。市長の式辞に続いて市勢功労者9人の表彰、来賓祝辞などのセレモニー。休憩があって記念公演は11時から。
昨年秋の第7回浜松国際ピアノコンクールでチョ・ソンジンが優勝した様子が映像で紹介され、幕が上がって本人が登場しました。
プログラム
ショパン 「バラード第1番 ト短調 作品23」
「ワルツ第1番 変ホ長調 作品18 (華麗なる大円舞曲)」
「ノクターン第2番 変ホ長調 作品9-2」
リスト 「リゴレット(演奏会用パラフレーズ)」
「ラ・カンパネラ」
演奏が終わってインタビューがありました。
浜松の印象:日本で初めて訪れた町として印象に残っている。すてきな町。
浜松のピアノコンクールについて:運営面などがしっかりしていて参加者としては演奏に に全力を傾けることができる環境が整っているすばらしいコンクール
優勝した後の演奏活動は:与えられた7回のコンサートの他にもいくつかオファーがある
浜松の皆さんへの感謝の気持ちは:アンコールで・・
ということでアンコール:ショパンの「英雄ポロネーズ」
満場の拍手が鳴りやまない中3度目の登場でもう1曲「別れの曲」
11月のコンクール以来7ヶ月ぶりのソンジンは髪の毛が少し長くなっていくらか大人になった感じです。と言ってもまだ15歳。今日の演奏も実に堂々としたもので、目をつむって聴いていればとても15歳とは思えません。ショパンとリストの名曲7曲の名演を聴くことができて幸せな市制記念日でした。
市制記念日の公演は入場無料で整理券も不要です。毎年来ている人もいるということで、慣れている人は式典が終わる頃を見計らって入場してきます。
最近のコメント