四ツ池が凍り付いた朝
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朝の最低気温が-1.5℃で今冬最低だった浜松。7時頃から雪が降り始めました。見る見るうちに庭は真っ白になりました。
8時過ぎには晴れ上がってこの雪は9時頃にはすっかり溶けてしまいました。
正午過ぎに再び雪雲がやってきました。雪が溶けた庭がまた真っ白に。
マイカーのボンネット レーチェが見慣れない景色に驚いて庭を見ています
お昼時の雪が溶けた4時頃、三度目の降雪がありました。北の空が黒い雪雲に覆われてたちまち降りしきる雪。やがて晴れ上がりましたが午後5時には気温が-1.0℃まで下がったので雪は溶けません。
一日に三度雪が降りましたが、浜松の降水量は一日を通じて0㎜です。測候所からわが家まで直線距離で4㎞なのですが…。
㊧:開花直前の露地植えのクリスマスローズ
㊨:工場の駐車場の車。この後帰宅しようとした従業員の方がわが家にお湯をもらいに見えました。フロントガラスに雪が積もって運転できないということでした。30年近くなかったことです。
強烈な寒波に襲われて日本列島全体が冷蔵庫に入ったような厳しい寒さが続いています。日本海岸や北日本は記録的な豪雪で被害が出ています。今日は雪雲が若狭湾から岐阜、名古屋を経て浜松に流れてきました。
雪が降るとニュースになる浜松です。夕方の雪が残ると明日の朝は路面が凍結することになります。明朝の最低気温の予想は-3.0℃。通勤・通学時間帯の混乱が心配です。
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59回目を迎えた市の公募展です。絵画・彫刻・書・工芸・写真の5分野に389点の応募があり、審査の結果入選した198点が展示されました。
絵画の部の入選作品は118点…油絵65・水彩画27・日本画17・その他9。油絵が圧倒的に多いのですが絵画の部の市長大賞は日本画でした。
油絵には文化芸大の聴講生の仲間の作品が入選していました。
彫刻は高校生など若い世代の応募が増えたということです。
工芸の部では陶芸に優れた作品が多く見受けられました。
写真はなかなか見応えがありました。芸術祭大賞の《初冬の詩》は富士山をバックとして前景に吊り干しの大根を配し、みごとな構成と色合いでした。
写真の部は入選者の最年少が50歳ということで高齢化しているとのことです。
浜松市美術館で会期は2月12日までです。入場無料。
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「竹久夢二と静岡ゆかりの美術」というネーミングからすると、「夢二の回顧展+夢二にゆかりのある画家たちの展覧会」と思われるのですが、内容はそうではありません。
出品作品の大半は夢二の作品と夢二にかかわる書籍や書簡、絵はがきやカードなどの印刷物で、そのほとんどが静岡市美術館の所蔵品です。この美術館が所蔵する夢二作品は358点。その由来は…現在の清水区蒲原の郷土史家であり夢二ファンである志田喜代江さんが蒐集したコレクションです。つまり、現在の静岡市民のコレクションということでこの美術館の開館1周年を記念して公開されたものです。夢二の絵ををこよなく愛した志田さんの思いがコレクションによく現れています。
コレクションの始まりは「青い小径」という書籍でした。《木に寄る女》は志田さんが一目惚れした作品とのこと。コレクションの中には大正7年に夢二が克明に記した日記帳も含まれています。
展示された多くの資料から、独特の趣のある夢二の絵の背景にあるものを読みとることができます。
この展覧会のテーマは「静岡市の女性が蒐集した夢二のコレクションの公開」ということです。
もう一つのテーマ「静岡ゆかりの美術」は、静岡生まれの版画家中川雄太郎の作品と、静岡が生んだ作家たち=伊藤勉黄、海野光弘、松岡圭三郎、小西哲郎、河西賢太郎の油彩画や版画と富士を愛し清水三保に移り住んだ和田英作の作品8点です。
夢二とは関係ありません。全部を見終わって初めてわかりました。
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2005年の第一作、2007年の第二作に続く、三丁目の夕日シリーズの第三作。第二作から5年後の1964年(昭和39年)の下町が舞台です。東京オリンピックが開かれた年で画面でも女子バレー決勝のテレビ中継を見る場面などが登場します。新幹線や東名が開通して日本人の生活が大きく変わった年です。
この第三作でも下町の夕日町に住む人たちの人情豊かな様々なエピソードが展開されます。
一流作家を目指す茶川(吉岡秀隆)は相変わらず児童雑誌に作品を掲載中ですが、新人作家に人気を奪われて連載中止の危機に。その新人作家というのが妻のヒロミと一緒に育てている古行淳之介だったという衝撃的な事実。淳之介の東大現役合格を目指す茶川は小説家を目指す淳之介を許すことができず、淳之介を「追放」します。
自分の子どもではない淳之介をこれまで苦労して育ててきた茶川と淳之介の別れは涙を誘います。
鈴木オートに住み込む六子は病院勤務の若い医師と結婚することになります。結婚を認めたくない社長の鈴木則文は相変わらず短気で波乱を起こしますが…最後は新幹線で新婚旅行に旅立つ二人をにこやかに見送ります。
善人ばかりで悪人のいない下町です。向こう三軒両隣、それぞれ共に泣き、共に笑い、共に喜び…たまにはお節介もあるけれど悪意はありません。
2時間20分という長い上映上演時間も気にならないで集中して見ることができました。
吉岡秀隆・堤真一(鈴木オート)・小雪(茶川の妻ヒロミ)・薬師丸ひろ子(社長の妻)はそれぞれの役を好演しています。茶川の妻ヒロミと社長の妻トモエは誠によくできた奥さんです。
六子と結ばれる医師菊池を演じている森山未来はこのシリーズ初登場ですが、なかなかの好演です。
もたいまさこ・高畑淳子・温水洋一・三浦友和などもそれぞれ存在感があります。
舞台はまさに1964年の世界です。路面電車・オート三輪・テレビ、町並みの情景、衣装など今から半世紀近く前の当時の下町の世界が最新の技術で再現されています。
この映画は3D映画として撮影されましたが、私が見たのは通常のバージョンでした。
21日に始まった全国一斉公開で大ヒットしています。
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久しぶりで磐田東のサッカーを見ました。これまで苦しみながらここまで勝ち上がってきた磐田東が決勝戦で聖隷と対戦しました。会場はワールドカップでも使われたエコパ。
ゲームは前半6分に磐田東が先制、その後追いつかれたものの後半10分に追加点、27分にも1点を加えて勝利を確実にしました。
終わってみれば3-1。できがよかったとは言えない磐田東ですが、決定機を逃さずゴールしたことで接戦を制しました。
試合開始前に尾崎監督に話を聞いたところ、メンバーが固定せず毎試合変動しているということでした。この試合でも大きい数字の背番号の選手が先発していたり、GKを含めて6人を入れ替えるという状況でした。
試合はチャンスを確実に得点に結びつけた磐田東が聖隷を抑えて優勝しました。5万人以上の定員があるエコパで200人程度の観客でした。スタンドは風もなく暖かいコンディションでした。
これで3年連続西部大会を制覇した磐田東の県大会での上位進出が期待されます。
隣のエコパサブアリーナでは午後4時からFUNKY MONKY BABYS のコンサートが予定されており、午前中からにぎやかでした。
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静岡新聞社の関連団体が経営する駿府博物館の開館40周年を記念する展覧会です。45点の出品作品のうちの4割はこの博物館のコレクションです。
橋本雅邦は岡倉天心と共に東京美術学校の開校や日本美術院の創設に関わりました。その橋本雅邦の作品と雅邦の指導を受けた四天王=横山大観・下村観山・菱田春草・西郷孤月をはじめ、川合玉堂、狩野芳崖など10人の日本画家の作品で構成されています。
橋本雅邦の作品は、《三井寺(狂女)》(1894年)や東京美術学校をやめて日本美術院を興した1898年の《老松旭 岩波月》や横長で近代的な日本画である《林間残照図》など8点です。芳崖の作品は《寿老人図》1点です。
門下の横山大観の作品は5点ですが、そのうち《海辺》は当時大観たちが主張した朦朧体が忠実に表現されています。
下村観山の7点のうちでも《狐婚礼》は朦朧体で表現されています。
川合玉堂の11点は日本の自然の美しさを的確にとらえてみごとに表現しています。
西洋画の影響も受けながら新しい日本画を築いていった巨匠たちの作品を集めた展覧会です。
静岡文化芸大の後期の授業で学んだテーマにふさわしい内容で参考になりました。
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新年間もない展覧会らしい企画です。日本人にとって吉祥とされる図柄を様々な分野から紹介しています。
その吉祥模様とは…牡丹・富士・龍・松・鯉・蓬莱山・宝船・七福神・兎・高砂などなど。
江戸時代初期の閨秀画家清原雪信(狩野探幽の姪と探幽の門下四天王の一人久隅守景の娘)の《大黒恵比寿弁財天天舞之図》から現代の伊藤髟耳の《寅》(2008年)まで50点が出品されています。
江戸時代では渓斎英泉や河鍋暁斎、歌川直久など。明治以降では横山大観(2点)、竹内栖鳳(6点)や下村観山の教えを受けた木村武山のほか、堂本印象、現存の栗原幸彦(浜松出身)、藤田時彦などのほかに、中央画壇で認められず奄美大島に渡って制作を続け、没後脚光を浴びた田中一村など多彩な顔ぶれです。
木村武山の《白梅矮鶏紅梅鴛鴦図》や栗原幸彦が白い牡丹を描いた《妖宴》などはみごとでした。(チラシ参照9
吉祥を描いたそれぞれの作品からおめでたい雰囲気が伝わってくる、気持ちのいい展覧会でした。
浜松市中区の平野美術館で3月18日まで
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冷え込みの厳しい朝でしたが、良く晴れていたので富士山を撮るために静岡空港へ出かけました。展望デッキからは手前の滑走路の向こうに富士山がよく見えます。
できれば離着陸する機体と富士山を一緒にカメラに収めたいところです。静岡空港は一日の運行回数がわずかしかありません。
あらかじめ調べて出かけたのですが、10時10分着陸予定の福岡からの便は予定よりも早く到着済みでした。
この日はチャーター便のFDA種子島行きが10時30分離陸予定ということで展望デッキで待ちました。FDA機がエプロンから滑走路に向かいましたが、ちょうどその時仁川からの大韓航空機が15分ほど早く着陸ということで、FDA機は待機のまま。
エプロンに駐機した韓国航空機の向こうを離陸中のFDA機 10時41分
エプロンから滑走路へ移動 10:35 待機中のFDA機 10;37
間もなく離陸のFDA機 10:41 間もなくエプロンの大韓航空機 10:41
FDA機の機材はブラジル製のERJ175 定員84席 大韓航空機はB737 187席
牧之原公園に着いた時、山はすでに雲の中でした。 11:09
㊨の画像:手前は金谷の町。大井川を挟んで島田の市街。その向こうに富士山
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私の聴講している授業は昨日で後期日程が終わりました。科目は「芸術特論D」。聴講生に初めて公開された授業です。
テーマは「日本近代絵画史(江戸、明治~昭和」です。シラバスによると「江戸末期に西洋絵画が日本に将来され、その後のいわゆる洋画が誕生してから、日本の画壇がいかに変化したかを明らかにする(立入先生)、「近代の日本画が西洋絵画の影響をいかに受け、同時に近世以前の伝統をいかに継承して、新しい絵画を作っていったかを明らかにする」(片桐先生)という科目でした。
授業はガイダンスに続いてお二人の先生が7時間ずつ担当されて展開されました。
前半は西洋美術史がご専門の立入正之先生でした。先生の授業の中で印象に残っている単語や人名は、パリ万博とジャポニスム・高橋由一・岡倉天心とフェノロサ・浅井忠・黒田清輝・藤島武二・青木繁・安井曾太郎・梅原龍三郎などです。
片桐先生の授業では、狩野芳崖・フェノロサ・横山大観・菱田春草・竹内栖鳳・日本美術院・速水御舟・土田麦僊などです。
お二人の先生の授業を通じて江戸後期から現代に至る日本の美術史の概要と日本の美術に及ぼした西洋絵画の影響がよくわかりました。
大学での聴講は7年で14期が終わり、終了した科目数は24になりました。
授業でいろいろ学ぶことが非常に多くて本当に勉強になります。今回の授業では新しい聴講生の仲間との新鮮な出会いがありました。日本画を制作する男性や美術にかかわるお仕事に従事している男性、女性など。これまでの仲間も含めて皆さんからいただく展覧会などの情報はすばらしく、毎時間楽しみにしていました。
2月半ばには24年度前期の聴講生募集要項が送られてくる予定です。次はどのような科目を選択するのか、今から楽しみにしています。
(昨24日はブログをアップできなくてご心配をおかけしました)
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今年最初の美術鑑賞は、会場の岡崎市美術博物館が持てる力を最大限に発揮して企画した村山槐多展です。
村山槐多…と言ってもなじみのない方が多いかも知れません。
村山槐多=1896~1919。22歳で夭折しています。岡崎生まれ(この事実は展覧会直前の2011年11月に判明したことが中日新聞で報道されました)、京都府立一中在学中から詩や絵画に卓越した技量を発揮。1914年、一中卒業後上京。第1回二科展出品作が横山大観に10円で買い取られ、同じ年第2回日本美術院展で院賞受賞。10代にして注目される存在になりました。1917年にも院賞受賞、院友に推挙されました。1919年、酒びたりの生活を続け、肺結核で血を吐き、みぞれの夜に家を飛び出して草むらで発見されましたが、間もなく22歳の生涯を終えました。
槐多は大正時代のロマンとデカダンスを自ら身をもって体験し、それを情熱を込めて表現しています。欲望と背徳と理知が一人の人間の中で交錯している複雑な状況を見ることができます。鋭い感受性とあくまでも美しいものを求める美的感覚は自分自身を苦しめることにもなります。高村光太郎は槐多のことを「火だるま槐多」と呼んでいますが、まさに火だるまになって自ら燃え尽きていきました。
この展覧会には槐多の作品などが250点余出品されています。油彩画のほかに多くの水彩画、デッサン、版画などがあります。また、30数点のはがきや書簡、30編近くの詩もあります。まさに「史上最大級!奇跡の展覧会!」で夭折の天才詩人画家の全貌を知ることのできるすばらしい展覧会です。槐多ゆかりの地で開かれたこの展覧会は岡崎だけのもので他へ巡回しません。
謎に満ちた新発見の大作、300号の《日曜の遊び》についてはこの美術館の学芸員が槐多の作であるという研究成果を明らかにしているようです。
幻の代表作と言われる《無題》(1916年)は90年ぶりの公開となる自画像です。
よく知られた《尿(いばり)する禅僧》は赤い裸身の僧が全身から赤い光を発しながら托鉢に勢いよく尿をしている絵です。一瞬異様な感じがします。強い性欲を象徴しているという見方もあるとか。
彼は破滅的な短い人生を送りましたが、自身でそのことを十分自覚していたことが遺書(第一の遺書)でわかります。
『自分は、自分の心と、肉体との傾向が、著しくデカダンスの色を帯びて居る事を 十五、六歳から気付いて居ました。私は落ちていく事がその命でありました。是は恐ろしい血統の宿命です。肺病は最後の段階です。(中略)
私は地獄へ陥ちるでせう。最低の地獄にまで。さらば』
1枚1枚の作品から槐多が発している強烈なメッセージが胸に迫ってきます。枚数が多いこともあって疲れました。
会期は1月29日まで。あと7日です。ぜひごらんください。
なお、図録は完売で現在増刷中とのことです。人気のほどがわかります。
岡崎市美術博物館の公式ホームページに展覧会の紹介があります。
http://www.city.okazaki.aichi.jp/museum/bihaku/top.html
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今回の展示会は「浜松の醸造業がこれまで全国に知られる数々の名産品を生み出してきた」ことから開かれたものです。
江戸時代以降の酒器(銚子、猪口、通い徳利、酒樽など)、酒づくりの道具、広告物などの展示によって浜松の酒づくりの歴史を紹介しています。
それほど大きくない特別展示室1室だけの小規模な展示なので出品されている品は限られています。
残念ながら展示品からは「全国に知られる数々の名産品」を見いだすことはできませんでした。昭和の時代には浜松市内(旧市内?)には11の酒醸造所がありました。町村合併後の現浜松市に酒醸造会社は2社しかありません。旧市内の浜松酒造(出世城)と浜北区の花の舞酒造です。展示品の多くはこの2社から出品されています。
静岡県の日本酒は全国でも高い評価を得ています。おいしい静岡の酒を生み出したのが「静岡酵母」です。県立工業試験場の河村傳兵衛さんが中心となって開発したもので昭和50年代後半に県内の酒造会社で使われるようになりました。
昭和61年には全国新酒鑑評会に出品した静岡県の21蔵のうち10蔵が金賞に輝くという快挙で注目されました。フルーティで優しい味の静岡県の清酒の特徴についても、展示の中で触れてほしかったと思いました。
浜松市博物館で 2月12日まで
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